市内線第2期線敷設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 08:15 UTC 版)
第1期線の開業とその活況を見て、市街地周辺部へ延びる第2期線建設の早期実現を求める世論が高まった。その一方で、会社設立時の150万円という資本金は第1期線建設費用で消化しており、第2期線建設には増資が必須であった。しかしながら建設費の高騰と会社設立時の株式募集に時間を要した経験を踏まえ、会社経営陣は増資幅を予定の150万円ではなく75万円に圧縮し、第2期線全線着工を先送りにして郊外線との連絡線のみを着工する方針を固めた(増資は1920年1月8日付で実施)。 ところがこの会社方針は金沢市会の反発を招く。特に先送りが見込まれた浅野川以北の地域選出の議員からは絶対反対の意見が出た。だが電車建設に伴う市区改正費を一部負担する金沢市の側も、第1期線の倍と見積もられた費用をすべて負担することは不可能であった。結局、市区改正費用との兼ね合いから、犀川以南では松金電車鉄道と連絡する野町線ならびに野村兵営に至る野田寺町線を、浅野川以北では大樋線南部(山ノ上町までの区間)を優先的に着工するという方針が市会に提出された。そして市会での議決を経て1920年度から市の市区改正事業が始まった。 市内線第2期線はまず1920年(大正9年)10月13日、犀川以南の野町線が着工され、11月15日営業開始許可を得たのち5日間の無賃試乗期間を経て20日より営業を開始した。次いで野田寺町線が翌1921年(大正9年)7月10日に開業。浅野川以北では1922年(大正11年)7月13日に大樋線が開業する。この段階では石川県が浅野川大橋の工事を施工中のため、大樋線は竣工まで暫定的に電車2両にて独立して運転されていた。大橋上の軌道は同年12月14日に開業し、大樋線の孤立は解消された。 浅野川大橋開通の一方、その4か月前の1922年8月3日に豪雨で犀川大橋が流出してしまった。電車専用の仮橋が竣工する12月14日までこの区間は不通となり、翌1923年(大正12年)6月5日から11月27日までの期間も7月中旬の4日間を除いて大橋復旧工事のため線路分断を余儀なくされた。新しい犀川大橋は1924年(大正13年)7月10日に完成した。
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