重量貨物・急行貨物用
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「南満洲鉄道の車両」の記事における「重量貨物・急行貨物用」の解説
ミカニ形 1D1形過熱式三気筒テンダー機関車 1924年 - 1932年 アメリカンロコモーティブ社スケネクタディー工場、南満洲鉄道沙河口工場、川崎造船所、汽車製造製 称号変遷 第3期 : ミカニ形 1600 - 1640 第4期 : ミカニ形 1 - 41 諸元 動輪直径 : 1,370mm シリンダ(直径×行程) : (3) 572mm×660mm 缶圧 : 12.7kg/cm2 火格子面積 : 6.25m2 機関車重量(運整) : 115.80t 動輪上重量(同) : 84.25t 概要 撫順駅 - 大連駅間の石炭列車牽引のために製造された大形貨物列車用機関車。当初の輸入機は5両で、その後1926年から満鉄および日本の工場で増備された。アメリカンロコモーティブ社としても初期に製造した単式三気筒機関車であり、完成後は詳細な性能試験を行って報道し、鉄道業界の注目を集めた。満鉄の機関車として初めて、運転整備重量が100tを超え、新製機として自動給炭機を備えたのも最初であった。性能は優れていたものの、三気筒機関車は保守に手間がかかるため、1929年度の増備では1E1形過熱式テンダー機関車サタ形の設計が検討された。この時はミカニ形11両が製造されることとなったが、1933年にはクランク軸折損事故が相次いだこともあり、代替機としてミカシ形が開発されることとなった。 第二次世界大戦後の動向 大連埠頭局管内 (35) 、奉天鉄道局管内 (6) に41両が存在し、中華民国に引渡された。中華人民共和国成立後は「MK2」形、のちに「解放 (JF) 2」形として2501 - 2527 ( - 2550?) までの番号が与えられたと考えられる。1960年代まで瀋大線(旧連京線)を中心に使用されたようであり、1980年前後には2525と2533の2両が目撃されている。現在は2525が瀋陽蒸気機関車博物館に保存されている。 ミカシ形 1D1形過熱式テンダー機関車 1935年 川崎車輛、汽車製造製 称号変遷 第3期 : ミカシ形 1650 - 1664 第4期 : ミカシ形 1 - 15 諸元 動輪直径 : 1,500mm シリンダ(直径×行程) : 630mm×760mm 缶圧 : 17.0kg/cm2 火格子面積 : 6.25m2 機関車重量(運整) : 124.64t 動輪上重量(同) : 91.72t 概要 満洲国成立後の貨物輸送増加に伴い、ミカニ形の後継機として製造された。二気筒で三気筒機関車と同等以上の牽引力を持たせる場合、粘着率を高く取る必要があるが、そうすると軸重が過大 (24.0 - 25.6t) となってしまう。ミカシ形の設計ではカット・オフ50%を最大とする制限締切 (limited cut off) 方式を採用し、左右シリンダの合成回転力の釣り合いを取ることで、軸重を23.0tにとどめることができた。缶圧はパシナ形を上回る17.0kg/cm2とし、高温度式のシュミットE形過熱器、大形の燃焼室、給水加熱器の装備により、ミカニ形に比して試算で約10%、最高の成績で22.6%の燃料節約が可能となった。また、貨物列車の速度向上の要求から、従来の満鉄貨物用機関車の標準であった動輪直径1,370mmに対し、1,500mmが採用された。主に連京線奉天以南で、30t積み石炭車60両(総重量は3,000t近く)を牽引する撫順炭輸送に充当された。ミカニ形のダイヤで運転した場合、動輪直径が大きいため、ピストン速度が遅くなりすぎて勾配区間でスリップを起こすことがあり、制限締切を60%としたり、貨物列車のダイヤを変更するなどの対策が採られた。 ただし、前述の新要素のうちボイラー回りについては性能向上に寄与したことについて間違いないが「制限締切方式が粘着力確保に有効だったか」(3シリンダー機より扱いやすかったか)については疑問とする意見もあり、まずこの制限締切方式自体が最初にアメリカのペンシルバニア鉄道で使用(1916年)されてから、50から60%カットオフ機関車はアメリカで1000両近く製造はされているが、このうちの半数は発祥のペンシルバニア鉄道が使用したものであり、さらに1930年以後は70%以下のカットオフ機関車新規製造がほとんどない事から発祥の地でもこの当時下火になってきた手法であったこと。 次に満鉄内でも、ミカシの低速走行時に補助ポートから本来蒸気が入る方の反対側(ピストンが向かっていく狭くなる側)に蒸気が入って動きの邪魔(バックトルク)になることがあり、これが発進時に思うように動かない「出渋り」や低速走行時に急に止まる「腰砕け」といったトラブルを起こしていた事、逆にこれを抑えるため50%カットオフをやめた後これの頻度が下がった(ただし空転しやすくなった)と説明があるなど、3シリンダーのミカニとは違ったトラブルが起きていたことがあげられる。 第二次世界大戦後の動向 大連埠頭局管内 (13) 、奉天鉄道局管内 (2) に15両が存在し、中華民国に引渡された。中華人民共和国成立後は「MK4」形、のちに「解放 (JF) 4」形2701 - 2715となった。瀋大線(旧連京線)を中心に使用されたと考えられる。 マテイ形 2D1形過熱式テンダー機関車 1936年 日立製作所、川崎車輛製 称号変遷 第3期 : マテイ形 1800 - 1806 第4期 : マテイ形 1 - 7 諸元 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 630mm×760mm 缶圧 : 14.5kg/cm2 火格子面積 : 5.36m2 機関車重量(運整) : 126.28t 動輪上重量(同) : 83.39t 概要 ミカイ形、ミカニ形によって牽引されていた貨物列車を高速化するために製造された。満鉄では全長、重量ともに最大のの蒸気機関車。燃焼室、シュミットE形過熱器、給水加熱器、自動給炭機などを備える。北行きの生鮮食品輸送の高速化がねらいで、当初2C1形が検討されたが、南行きでは普通貨物列車を牽引する必要があり、速度と牽引力を両立させるため、1,750mmの大きな動輪を持つ2D1形機関車となった。主として連京線の急行貨物列車に使用され、1,700t貨物を最高速度90km/hで牽引可能であった。また旅客列車も牽引した。 第二次世界大戦後の動向 全機が奉天鉄道局管内蘇家屯機関区 (7) に存在し、中華民国に引渡された。中華人民共和国成立後は「MT1」形1 - 7となった。1985年に黒龍江省鶴崗の鉱山鉄道で5と6の2両が目撃されている。
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