起亜タイガース時代(2001 - )
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「起亜タイガース」の記事における「起亜タイガース時代(2001 - )」の解説
2001年シーズンまでタイガースの売却先を見つけ出せないまま、主力選手の金銭トレードで当てた運営資金も底をつき、9度優勝を誇る名門球団の存続すら危うくなっていた。同年7月、各方面の努力の結果、本拠地光州に組み立て工場を持っている現代-起亜自動車グループが球団の買収に合意。シーズン途中の8月にチーム名を起亜タイガースへと変更した。タイガースのニックネームは、その名に9度優勝の歴史が重く圧し掛かっていて、その歴史に誇りを持っている地元ファンを配慮して、そのまま引き受けることにした。韓国プロ野球では球団買収と同時にニックネームまで変えるのが一般的であるが、タイガースだけは他のチームとは違って、名称が継承された。 2001年シーズン途中タイガースを買収した起亜自動車は、中日から退団した李鍾範(イ・ジョンボム)を復帰させる他、翌年から現代-起亜自動車グループの資金力を基に戦力補強の着手。ヘテ時代末期の弱体化された戦力を強化して昔の栄光を取り戻そうとした。 その甲斐もあって、2002年、2003年は2年連続でレギュラーシーズン2位でポストシーズンに進出した。しかし、両年ともプレーオフで敗退。2004年はレギュラーシーズン4位で準プレーオフ出場もまた敗退。2005年は序盤から不振で、ヘテ時代から数えても球団史上初のシーズン最下位に転落した。2006年は投打ともに建て直しに成功し、斗山ベアーズとの激しい4位争いを制し準プレーオフへ出場したがハンファ・イーグルスに敗退した。 ヘテ時代は韓国シリーズ9度出場で全部勝利、一見ポストシーズンに強そうな印象を与える同チームだが、意外にも韓国シリーズ以外のステージでは弱く、ヘテ時代から通算するとプレーオフ・準プレーオフ・ワイルドカード決定戦(2015年から導入された)のステージでは2勝9敗である。特に、2002年プレーオフ第5戦から2006年準プレーオフ第1戦までプレーオフ、準プレーオフの試合で7連敗を記録した(2002年のプレーオフ第5戦、2003年のプレーオフで3連敗で敗退、2004年の準プレーオフで2連敗で敗退、2006年の準プレーオフ第1戦)。 ヘテ時代の偉業が余りにも強く影響をしていて、ファンからは韓国シリーズ出場すらできない状態に不満を持った過激派のファンたちが球団の公式ホームページの掲示板などを通じて「いつからこんな弱いチームになったんだ」、「起亜になってからは何もよいことがない」、「ヘテと起亜は別のチームだ」、「起亜に栄光なるタイガースを名乗る資格はない」などと苛立ちを募らせたりしていた。2007年においても5月頃から最下位に低迷したことで、ファンの間で球団のチーム復興への意地を疑う動きが極まれ、団長や監督など球団首脳部が球団の公式ホームページの掲示板や球場外野席の横断幕で激しい非難の声に曝された。これに対して、球団側がホームページの掲示板を一時閉鎖し、名誉毀損の疑いで数人のファンに対して訴訟を起こすなどの事態にまで発展した。こういう不満に加えて、老朽化した本拠地の無等球場に代わる新球場の建設を求める声も大きくなっているが光州市側は予算の問題を挙げて新球場の建設を渋っていた。 2007年は2年ぶり2度目の最下位に終わり、契約が1年残っている徐定煥(ソ・ジョンファン)監督を解任。SKワイバーンズを韓国シリーズまで押し上げた実績のある曺凡鉉(チョ・ボムヒョン)ヘッドコーチを監督に昇格させてデータ重視の野球でチームカラーの刷新を狙い、また崔煕渉(チェ・ヒソプ)、徐在応(ソ・ジェウン)、ホセ・リマと言ったメジャー・リーグ出身選手の思い切った補強を行い、シーズン開幕直前予想では前年優勝のSKワイバーンズに対抗する強力な優勝候補の一角とまで評された。しかし、これらのメジャーリーグ出身選手たちが揃って故障および不振に陥り、崔煕渉、徐在応は戦線離脱と2軍落ちを繰り返し、リマはシーズン途中解雇されるなど、期待を大きく裏切った。結果6位で上位進出はならなかった。 2009年は開幕前さして下馬評は高くなかったが、中盤まで上位につけると、夏場になり7月末から8月中旬までの11連勝で波に乗り、首位に立ちそのまま12年ぶりのレギュラーシーズン優勝を飾った。その背景としてはリック・ガトームソン、アキリーノ・ロペスの両外国人投手の活躍で最強の先発投手陣ができあがったこと、LGツインズから4月後半トレードで移籍した金相賢(キム・サンヒョン)、元メジャーリーガーの崔煕渉が本塁打を量産したことなどがある。またチームの快進撃により本拠地の光州・無等野球場は何度も入場券が完売する満員御礼となり、ビジターのソウル・蚕室野球場などにも大勢の起亜ファンが押しかけ、かつてないプロ野球人気の向上に大きく貢献した。韓国シリーズではSKワイバーンズを4勝3敗で破り、ヘテ時代以来12年ぶりの韓国シリーズ優勝を成し遂げた。同年11月14日、読売ジャイアンツとの日韓クラブチャンピオンシップにも出場したが4 - 9で敗れた。 2010年は金相賢など主力選手の故障、ロペスの不振、また2009年限りで退団したガトームソンの穴を埋める外国人投手に恵まれなかったことや、6月から7月にかけての球団ワースト記録となる16連敗もあり、5位にとどまりポストシーズン進出に失敗し、韓国シリーズ連覇はならなかった。2011年はレギュラーシーズン4位となり、2年ぶりにポストシーズンへ進出したが、準プレーオフでSKに敗れた。同年10月18日、曺凡鉉監督が契約期間を1年残して辞任し、宣銅烈が2012年より17年ぶりに古巣へ復帰し監督に就任することが発表された。2012年3月末、4月7日のレギュラーシーズン開幕を前に長年チームの顔だった李鍾範の現役引退が発表され、同年5月26日、李鍾範の盛大な引退式が行われた。同年は5位で2年連続ポストシーズン進出に失敗した。9球団制となった2013年は8位、2014年も2年連続8位と下位に低迷し、同年で宣銅烈監督は辞任した。 2014年10月、金杞泰監督が就任した。2015年は10球団制にプロ野球が拡大する中、7位だった。2016年はレギュラーシーズン5位で5年ぶりにポストシーズンへ進出するも、ワイルドカード決定戦でLGに敗れた。2017年は8年ぶりにレギュラーシーズンで優勝し韓国シリーズでは斗山ベアーズをやぶり11度目の優勝を達成した。2018年はレギュラーシーズン5位でポストシーズンはワイルドカード決定戦から出場したが、ネクセン・ヒーローズに敗れた。2019年5月16日、最下位に低迷していた責任を取って金杞泰監督が辞任、朴興植監督代行が就任し、同年は7位で終えた。 2019年10月15日、初の外国人監督マット・ウィリアムズが就任した。2020年は6位、2021年は9位で同年11月1日、マット・ウィリアムズ監督は契約解除となった。2021年12月5日、金鍾国監督が就任した。 1982年の球団創設以来の光州無等総合競技場野球場の横で新球場・光州起亜チャンピオンズフィールドが2013年末に完成し、2014年シーズンから使用している。ダグアウトは3塁側に変更している。
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