起亜タイガース時代とは? わかりやすく解説

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起亜タイガース時代(2001 - )

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:11 UTC 版)

起亜タイガース」の記事における「起亜タイガース時代(2001 - )」の解説

2001年シーズンまでタイガース売却先を見つけ出せないまま、主力選手金銭トレード当てた運営資金も底をつき、9度優勝を誇る名門球団存続すら危うくなっていた。同年7月各方面努力結果本拠地光州組み立て工場を持っている現代-起亜自動車グループ球団買収合意シーズン途中8月チーム名起亜タイガースへと変更したタイガースニックネームは、その名に9度優勝歴史重く圧し掛かっていて、その歴史誇り持っている地元ファン配慮してそのまま引き受けることにした。韓国プロ野球では球団買収同時にニックネームまで変えるのが一般的であるが、タイガースだけは他のチームとは違って、名称が継承された。 2001年シーズン途中タイガース買収した起亜自動車は、中日から退団した李鍾範イ・ジョンボム)を復帰させる他、翌年から現代-起亜自動車グループ資金力を基に戦力補強着手ヘテ時代末期弱体化された戦力強化して昔の栄光取り戻そうとした。 その甲斐もあって、2002年2003年2年連続レギュラーシーズン2位ポストシーズン進出した。しかし、両年ともプレーオフ敗退2004年レギュラーシーズン4位で準プレーオフ出場もまた敗退2005年序盤から不振で、ヘテ時代から数えて球団史上初のシーズン最下位転落した2006年投打ともに建て直し成功し斗山ベアーズとの激し4位争い制し準プレーオフ出場したハンファ・イーグルス敗退したヘテ時代韓国シリーズ9度出場全部勝利一見ポストシーズンに強そうな印象与える同チームだが、意外に韓国シリーズ以外のステージで弱くヘテ時代から通算するプレーオフ・準プレーオフ・ワイルドカード決定戦2015年から導入された)のステージでは2勝9敗である。特に、2002年プレーオフ第5戦から2006年準プレーオフ第1戦までプレーオフ準プレーオフ試合で7連敗記録した2002年プレーオフ第5戦、2003年プレーオフで3連敗敗退2004年準プレーオフ2連敗敗退2006年準プレーオフ第1戦)。 ヘテ時代偉業余りにも強く影響をしていて、ファンからは韓国シリーズ出場すらできない状態に不満を持った過激派ファンたちが球団公式ホームページ掲示板などを通じて「いつからこんな弱いチームになったんだ」、「起亜になってからは何もよいことがない」、「ヘテ起亜別のチームだ」、「起亜栄光なるタイガース名乗る資格はない」などと苛立ち募らせたりしていた。2007年においても5月頃から最下位低迷したことで、ファンの間で球団チーム復興へ意地を疑う動き極まれ団長監督など球団首脳部球団公式ホームページ掲示板球場外野席横断幕激し非難の声に曝された。これに対して球団側がホームページ掲示板一時閉鎖し、名誉毀損疑い数人ファンに対して訴訟起こすなどの事態にまで発展したこういう不満に加えて老朽化した本拠地の無等球場代わる球場建設求める声も大きくなっているが光州市側は予算問題挙げて球場建設渋っていた。 2007年2年ぶり2度目最下位終わり契約1年残っている徐定煥(ソ・ジョンファン監督解任SKワイバーンズ韓国シリーズまで押し上げた実績のある曺凡鉉(チョ・ボムヒョン)ヘッドコーチ監督昇格させてデータ重視野球チームカラー刷新狙い、また崔煕渉チェ・ヒソプ)、徐在応(ソ・ジェウン)、ホセ・リマと言ったメジャー・リーグ出身選手思い切った補強行いシーズン開幕直前予想では前年優勝SKワイバーンズ対抗する強力な優勝候補一角とまで評された。しかし、これらのメジャーリーグ出身選手たちが揃って故障および不振に陥り、崔煕渉徐在応戦線離脱2軍落ち繰り返しリマシーズン途中解雇されるなど、期待大きく裏切った結果6位で上位進出はならなかった。 2009年開幕前さして下馬評高くなかったが、中盤まで上位につけると、夏場になり7月末から8月中旬までの11連勝波に乗り首位に立ちそのまま12年ぶりのレギュラーシーズン優勝飾ったその背景としてはリック・ガトームソンアキリーノ・ロペスの両外国人投手活躍最強先発投手陣ができあがったこと、LGツインズから4月後半トレード移籍した金相賢(キム・サンヒョン)、元メジャーリーガー崔煕渉本塁打量産したことなどがある。またチーム快進撃により本拠地光州・無等野球場何度も入場券完売する満員御礼となり、ビジターソウル蚕室野球場などにも大勢起亜ファン押しかけかつてないプロ野球人気の向上に大きく貢献した韓国シリーズではSKワイバーンズを4勝3敗で破りヘテ時代以来12年ぶりの韓国シリーズ優勝成し遂げた同年11月14日読売ジャイアンツとの日韓クラブチャンピオンシップにも出場した4 - 9敗れた2010年金相賢など主力選手故障ロペス不振、また2009年限り退団したガトームソン穴を埋める外国人投手恵まれなかったことや、6月から7月にかけての球団ワースト記録となる16連敗もあり、5位にとどまりポストシーズン進出失敗し韓国シリーズ連覇はならなかった。2011年レギュラーシーズン4位となり、2年ぶりにポストシーズン進出したが、準プレーオフSK敗れた同年10月18日曺凡鉉監督契約期間1年残して辞任し宣銅烈2012年より17年ぶりに古巣復帰し監督就任することが発表された。2012年3月末、4月7日レギュラーシーズン開幕前に長年チームの顔だった李鍾範現役引退発表され同年5月26日李鍾範盛大な引退式が行われた。同年は5位で2年連続ポストシーズン進出失敗した。9球団となった2013年は8位、2014年2年連続8位と下位低迷し同年宣銅烈監督辞任した2014年10月金杞泰監督就任した2015年10球団制にプロ野球拡大する中、7位だった。2016年レギュラーシーズン5位で5年ぶりにポストシーズン進出するも、ワイルドカード決定戦LG敗れた2017年8年ぶりにレギュラーシーズン優勝し韓国シリーズでは斗山ベアーズをやぶり11度目の優勝達成した2018年レギュラーシーズン5位でポストシーズンワイルドカード決定戦から出場したが、ネクセン・ヒーローズ敗れた2019年5月16日最下位低迷していた責任取って金杞泰監督辞任興植監督代行就任し同年は7位で終えた2019年10月15日、初の外国人監督マット・ウィリアムズ就任した2020年は6位、2021年は9位で同年11月1日マット・ウィリアムズ監督契約解除となった2021年12月5日金鍾国監督就任した1982年球団創設以来光州無等総合競技場野球場の横で新球場光州起亜チャンピオンズフィールド2013年末に完成し2014年シーズンから使用している。ダグアウトは3塁側に変更している。

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