起こりについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 06:57 UTC 版)
「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」の記事における「起こりについて」の解説
1950年代、第二次世界大戦後の復興が進んでいたヨーロッパで、スイスに本部を置く欧州放送連合は、加盟国が一体となっての「明るいエンターテイメント番組」を模索するべく臨時委員会を立ち上げた。1955年1月にモナコで開催された委員会では、スイス・テレビジョン(Schweizer Fernsehen)会長ののマルセル・ブザンソン(Marcel Bezençon)によって、加盟放送局によって全参加国に生中継されるテレビ番組による、国際的な歌唱コンテストを開催する案を取り上げた。大会は、イタリアで行われていたサンレモ音楽祭を原型としている。この案はまた、大規模な生放送の技術的な試験でもあった。当時、多くの国々が共同して広域的・国際的な通信網を築くことは、挑戦的な計画であった。当時衛星放送は存在せず、ユーロビジョン・ネットワークと呼ばれる地上でのマイクロ波中継があるのみであった。「ユーロビジョン・グランプリ」の案は、1955年10月19日にローマで開かれた欧州放送連合の総会で採択され、初の大会が1956年春にスイスのルガーノで開催されることが決まった。「ユーロビジョン」の呼称は、1951年にロンドン・イブニング・スタンダード(London Evening Standard)でイギリスのジャーナリスト、ジョージ・キャンピー(George Campey)によって初めて使われた。 初のコンテストは1956年5月24日にスイスのルガーノで開催された。7箇国がそれぞれ2つの楽曲をエントリーし、合計14曲によって競われた。この大会はユーロビジョンの歴史上で唯一、各国が複数の曲をエントリーした大会となった。翌年以降の大会では、1国につき1曲とされた。1956年大会で優勝したのは、開催国のスイスであった。 番組ははじめ「ユーロビジョン・グランプリ」(Eurovision Grand Prix)と呼ばれていた。「グランプリ」という呼称はフランス語圏の国々によって採用され、フランス語でははじめ「ル・グランプリ・ユーロヴィジオン・ド・ラ・シャンソン・ユーロペンヌ」(Le Grand-Prix Eurovision de la Chanson Européenne)と呼ばれていた。その後「グランプリ」の呼称が「コンテスト」に置き換わると、フランス語圏ではこれに対応して「グランプリ」から「コンクール」(Concours)に改められた。ユーロビジョン・ネットワークは、欧州放送連合によって企画された特別なイベントのほかにも、多くのニュースやスポーツ番組を国際配信している。しかし、多くの一般大衆にとって、単に「ユーロビジョン」といえば、ユーロビジョン・ソング・コンテストを想起する。
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