「下野」の由来と読みとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 「下野」の由来と読みの意味・解説 

「下野」の由来と読み

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 16:32 UTC 版)

下野国」の記事における「「下野」の由来と読み」の解説

毛野地域の変遷 4世紀頃? 毛野 5世紀末頃? 上毛野 下毛野 那須 7世紀上毛野国 下毛野国 8世紀初頭 上野国 下野国 ↓ ↓ 現在の都道府県 群馬県 栃木県 古代関東には「毛野(けの/けぬ)」および「那須(なす)」と呼ばれる政治勢力存在し前者上下二分されて「上毛野かみつけの/かみつけぬ)」・「下毛野しもつけの/しもつけぬ)」となったといわれる毛野起こりについては、『常陸国風土記』によると筑波はもともと紀の国であるといい、この紀の国毛野同一かは不詳だが、「毛野河」は筑波西部郡の境界とある。また『続日本紀』では毛野川古くから常陸国下総国境界であると記されているなど、毛野毛野川現在の鬼怒川)の深い関わりうかがわれる。『上野名跡志』では下野国河内郡衣川郷が毛野という国名の由来推察されている。 国名の上下については、上総国下総国などと同様、一国を「上」と「下」に二分したものとされるが、備・越・筑・豊・肥などのように前後(または前中後)に分けられた国との違い不詳である。またこの分裂は史書無く詳細不明で、古くより議論がある(「毛野#毛野の分裂」を参照)。 『大宝律令』の制定にあたっては、下毛野領域那須領域栃木県北東部)を合わせ、「下毛野国しもつけののくに/しもつけのくに)」として上毛野国とともに令制国1つ定められとされる那須統合時期は明らかとなっていない)。その後下毛野国上毛野国国名は「下野国」・「上野国」に改名された。この際、「毛」の字は消えたものの「しもつけのくに」として、読みにその名残とどめている。 「下野」の初見『日本書紀』天武天皇5年676年5月条である。また、藤原宮跡出土木簡には大宝3年703年)に「下毛野国」の記載があり、律令制施行後初見である。

※この「「下野」の由来と読み」の解説は、「下野国」の解説の一部です。
「「下野」の由来と読み」を含む「下野国」の記事については、「下野国」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「「下野」の由来と読み」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「「下野」の由来と読み」の関連用語

1
2% |||||

「下野」の由来と読みのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



「下野」の由来と読みのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの下野国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS