解散に至る経緯
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発足時に球団側は一試合平均で1400名の動員を目標としていた。しかし、開幕直後に敗戦が続いたこともあって客足は伸び悩み、初年度の入場者数は40試合で20,621人(1試合平均515人)であった。リーグでは4番目であるものの、球団存続の危機に見舞われた前年の高知とほぼ同水準であった。 これに加えて、運営面では支援企業の獲得が球団が予想したほど進まなかった。開幕前の2008年1月に球団関係者が長崎県の金子原二郎知事に挨拶に趣いた際に、支援企業獲得でのサポートを要請したほどである。長崎市・佐世保市・島原市・離島という4つの経済圏に分かれる長崎県においては、セインツは「佐世保のチーム」といわれて支援企業獲得に難航している面もあると報じられた。解散後の地頭薗への取材では、企業や自治体への支援要請に対して「なぜこんなことをやってるの?」「お金、持ってるんでしょ?」といった対応を受けたという。 これらに対して、球団側は長崎市で予定されていた4試合を佐世保での開催に切り替えるなどの経費削減策を講じたが、大きな改善には至らず、月1千万円とされる運営費にも影響が出かねない状況となった。このため、2008年9月には、集客が予想を下回る中でこのまま支援が得られない状況が続けば、来シーズンからのリーグ脱退もあり得るという報道がなされた。リーグの鍵山誠CEOは「要請があれば資金援助を行う」とコメントしたが、地頭薗社長はスポンサー探しを可能な限り続ける意向を示した。結局、2008年度は約3,500万円の赤字を計上し、10月29日にリーグから2000万円の援助を受ける形で来シーズンもリーグに残ることが発表された。一方、自前のバスによる遠征や安価な公共宿泊施設の利用に加え、支配下登録選手の数を2008年より5人少ない22人に減らすといったさらなる経費の削減策も示された。 2009年7月、経営の安定化を図るために経営パートナーを広く全国から募集することを発表した。また、かつて広島カープの球団存続をかけて行われた「たる募金」にあやかる形で球場などで募金活動を行うことも明らかにされた。これに際しては、同じく広島でMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島建設のためにおこなわれた「平成のたる募金」で使用されたたるを、保管していた中国新聞社から借り受けている。しかし、不況に伴いリーグからの分配金が前年の3000万円から100万円に激減したことやスポンサーの支援が減少したことに加えて、これらの対策の効果が現れず、各種経費の未払や職員給与の遅配が続いたため、2009年8月には再びリーグ撤退の恐れが出ていると地元紙で報じられた。経営危機の表面化後、たる募金の額が急増して8月末で100万円を突破し、球団側は「存続に全力を尽くしたい」とコメントした。10月になって、大手企業との業務提携や新規スポンサーの獲得により、資金調達のめどが立ったとして来季もリーグに参加する見通しであると報じられた。 2009年度の入場者数は前年比4,559人増の25,180人(1試合平均630人)で、リーグ内では前年より増加した数少ないチームとなったが、同年度の売上高4700万円に対して収支は最終的に昨年度より多い、約5000万円の赤字となった。 2010年3月、球団首脳から「通年の参加がきわめて厳しい」という報告がリーグにあったと報じられた。県内企業からの新たな出資が獲得できず、リーグ分配金を含めた収入の見込みが2600万円程度にとどまる見通しで、最悪の場合前期途中での撤退もあり得るとされた。 5月に入り、球団の負債が1億円を越え、破産宣告の可能性もあるとの報道がなされた。地元の佐世保市は「公費での支援は困難」としながらも、4月以降支援のために市職員230人が後援会に入会したと朝長則男市長より、地頭薗社長に伝えられた。地頭薗社長は「現状では(7月からの)後期を戦い切るのは難しいが、いけるところまで頑張りたい」と述べた。 懸念された前期での休止は回避されたものの、前期の平均動員数は422人(前年前期は605人)と厳しい状況が続いていた。 9月20日、経営難により四国・九州アイランドリーグから撤退する方針を固めたと報じられる。この時点で2010年度のスポンサー収入は250万円にとどまっている。9月24日、リーグに正式に申請。9月29日に開催されたリーグの理事会で、リーグからの脱退が正式に決まった。選手のうち、希望者16名が10月13日に救済ドラフトで他球団の指名対象となり、うち8名が指名された。残る8名は改めて新人選手としてトライアウトを受けることができる。他球団の指名を受けた8名のうち7名は10月28日までに入団が内定したが、1名は条件が折り合わず任意引退となった。 10月1日、地頭薗社長は佐世保市役所で記者会見し、今シーズン限りでチームを解散して早ければ10月下旬にも破産手続きに入ると発表した。12月3日、長崎地方裁判所佐世保支部より破産手続開始決定を受けた。負債総額は約1億5千万円。 これによって、四国・九州アイランドリーグでリーグ戦に参加する九州の球団はなくなった。 2010年度の入場者数は前年比10,146人減の15,034人(1試合平均396人)であった。
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