西沙諸島の戦い
(西沙海戦 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 08:46 UTC 版)
西沙諸島の戦い(せいさしょとうのたたかい、ベトナム語:Hải chiến Hoàng Sa 1974 / 海戰黃沙1974?)は、1974年1月に、西沙諸島(パラセル諸島)の領有権を巡って中華人民共和国とベトナム共和国(以下、南ベトナム)が交戦した武力衝突である。海戦により中国艦隊が南ベトナム軍艦1隻を撃沈し、南ベトナムが支配していた島嶼に部隊を上陸させて占領した。別名として永楽紛争、あるいは海戦部分のみを取り上げて西沙海戦とも呼ぶ。中国側の呼称は西沙群島自衛反撃作戦[1]。
- 1 西沙諸島の戦いとは
- 2 西沙諸島の戦いの概要
- 3 参考文献
西沙海戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 01:47 UTC 版)
1974年1月19日午前7時40分、南ベトナム軍40人が広金島に上陸を開始し、同島の中国軍と銃撃戦となった。第73駆潜艇大隊と掃海艇2隻の中国艦隊も駆け付け、午前8時頃から両軍艦艇がお互いに進路妨害や体当りを始めた。 午前10時22分、南ベトナム艦隊が発砲し、ついに本格的な交戦状態となった。南ベトナム艦隊はチェン・チン・ユーとチェン・ピン・チョンが隊列を組み、他の2艦はバラバラで行動した。ヌータオと中国側掃海艇2隻は激しい接近戦となり、ヌータオと中国掃海艇「389号」がいずれも浸水・炎上した。1時間足らずの交戦で南ベトナム艦隊は次々と損傷し、バラバラに戦場離脱を図った。中国側は12時過ぎに第74駆潜艇大隊の2隻も増援として到着し、ベトナム艦を追撃した。低速のヌータオは逃げ切れず、優速な中国艦隊の集中攻撃を浴び、午後2時52分に西沙諸島西部海域で沈没した。 午後1時30分、永楽島に3個歩兵中隊・1個偵察中隊の中国軍部隊が上陸して占領した。この際、中国艦隊とベトナム艦「キーリン」(漢字表記:麒麟)の間でも交戦があった。翌1月20日には、金銀島など3島にも中国軍が上陸し、航空機の援護の下で占領した。地上戦で南ベトナム軍は約100人が死傷した。
※この「西沙海戦」の解説は、「西沙諸島の戦い」の解説の一部です。
「西沙海戦」を含む「西沙諸島の戦い」の記事については、「西沙諸島の戦い」の概要を参照ください。
- 西沙海戦のページへのリンク