直流送電の歴史
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最初の長距離送電は、1882年にマイスバッハ(英語版)-ミュンヘン送電が直流により行われたが、送電されたのはたった2.5 kWであった。初期の高圧直流送電はスイスの技術者であるRene Thury が開発し、彼の方法は1889年にイタリアにおいてAcquedotto De Ferrari-Galliera社によって実用化された。このシステムは直列に接続された電動発電機を昇圧に使用している。それぞれの組は大地から絶縁され、原動力からの絶縁軸により駆動されている。系統はそれぞれの発電機毎に最大5,000 Vまで定電流モードで動作し、一部の発電機はそれぞれの整流子に掛かる電圧を低減させるため二重の整流子を持たされた。このシステムは630 kW / 14 kV DC超で120 kmを送電された。 Moutiers-Lyonシステムは8,600 kWの水力発電電力を124マイル (193 km) 送電し、うち6マイル (9.7 km) は地下ケーブルであった。このシステムは合計15万Vの相間電圧を得るために、8つの直列接続された二重整流子発電機を用いており、1906年から1936年ごろまで運転された。15式のThuryシステムは1913年 から運転を開始し、ほかのThuryシステムは1930年代までには最大100 kV DCで運転されたが、回転機械は高度な維持管理を求められ、またエネルギー損失が大きかった。いろいろ[要出典]な他の機械式整流器は最初の20世紀前半の間、商業的な成功とともに試験された。 直流を送電高電圧から最適な低電圧へ変換するために試みられた一つの変換技術に、充電池を直列接続し、次いで充電池を並列に接続して負荷に分配供給するものがある。 結局2つの商業的実装が20世紀の変わり目ごろに試みられた一方で、充電池の容量制限や、直列・並列接続の切替え、充電池の充放電サイクルの本質的な非効率さといった理由により、この技術は大まかにいって有用とはいかなかった。 ゲート電極つき水銀整流器は1920年から1940年の間に送電施設で利用されはじめた。1932年の始めゼネラル・エレクトリックは水銀蒸気制御器と12 kV直流送電配電線を試験した。これはまた40 Hzの発電を60 Hz負荷に変換するためのものでもあり、ニューヨーク州メカニックビルに置かれた。1941年にはベルリン市向けの水銀整流器を使用した60 MW・+/-200 kV・115 km埋設ケーブル連系が計画された (en:Elbe-Project) が、1945年のドイツ政府の崩壊によりプロジェクトは実行されなかった。プロジェクトについての名目上の設置根拠は、戦時下においては、埋設ケーブルは爆撃目標としてそれほど目立たないだろうということだった。設備はソビエト連邦に持ち去られ、そこで運用に供された。 1954年の商用サービスにおける完全にスタティックな水銀整流器の導入が、現代的なHVDC送電の始まりとされる。HVDC接続はアセア社により、スウェーデンとゴトランド島の間に建設された。水銀整流器は1975年までに設計されたシステムでは普及していたが、これ以降、HVDCシステムは半導体素子のみを使用するようになった。1975年から2000年まで、サイリスタ制御器を使用した相整流変換器 (LCC:line-commutated converters) の信頼性が向上した。Vijay Soodといった専門家によれば、LCCの座を大幅に奪い取ってきた自己整流変換器の後に次いで、キャパシタ整流変換器 (CCC:capacitor commutative converters) が発端となり、次の25年は強制整流変換器が主要なものとなるだろうとしている。半導体整流器を使用しているため、数百のHVDC海底ケーブルが敷設され、通例高い信頼性のもとに稼働している。
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