独立、「Pヴァーゲン」と「フォルクスワーゲン」の開発とは? わかりやすく解説

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独立、「Pヴァーゲン」と「フォルクスワーゲン」の開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:12 UTC 版)

フェルディナント・ポルシェ」の記事における「独立、「Pヴァーゲン」と「フォルクスワーゲン」の開発」の解説

1931年秋、シュトゥットガルト設計コンサルティング行なうポルシェ事務所Dr. Ing. h.c. F. Porsche GmbH, Konstruktionen und Beratungen für Motoren und Fahrzeugbau )を設立した社員にはかつての同僚や、ボッシュ徒弟期間を終えてたばかり息子フェリー・ポルシェらがいた。 最初の仕事ヴァンダラーからの注文で、2,000cc級中型車設計だった。ポルシェ事務所設計について通し番号で呼ぶことにしたが、この最初作品依頼者に危惧与えないようタイプ1でなくタイプ7とした。 タイプ7成功しヴァンダラーはより大型かつ高性能自動車設計発注して来たので、8気筒OHVスーパーチャージャー付き3,250ccエンジン積んだタイプ8が設計され試作された。このタイプ8にはシュトゥットガルト大学カム博士当時珍しかった風洞実験行なった結果到達した流線型ボディーロイター(現レカロ)の製作により架装されていたが、ヴァンダラーアウトウニオン結成参加したため生産には至らなかった。このカム博士流線型理論は後のフォルクスワーゲンボディー形状影響与えている。 ドイツ国内外の主要メーカーからの委嘱によって自動車設計手がける一方当時技術における理想的なレイアウトリアエンジン式・流線型小型大衆車開発試みるが、提携先メーカー各社充分な協力得られず、資金不足により頓挫した。この時設計したタイプ12がのちのフォルクスワーゲン原型となったポルシェ設計者としての能力傑出していたもの新技術開発自体はあまり多くなかったが、この時代には横置きトーションバー上下2段配置して2本のトレーリングアーム車輪支持する前輪向けのコンパクトなポルシェ独立懸架」を考案している。フォルクスワーゲンなど自らの開発するモデル利用したほか、アルファロメオシトロエンボクスホールモーリスなど多数メーカー特許料払ったり、直接ポルシェ設計依頼してこの方式を用いたこの頃ソビエト連邦からの招聘受けてヨシフ・スターリン面会しスターリンソ連自動車開発のために働くことを提案した当時ソ連フォードから旧式モデルツールプラントごと購入するなどして国産自動車開発邁進しており、ドイツとも密かに関係を結んで戦車開発進めていたのであるこのためスターリンポルシェにも好条件オファー示しポルシェ本人も相当苦しんだ述懐しているが、「ロシア語の壁は、56歳自分にはとても乗り越えられない」として辞退した1933年に、ドイツ覇権握った独裁者アドルフ・ヒトラーから歓喜力行団通じて国民車ドイツ語フォルクスワーゲン)の設計依頼された。ようやく理想小型大衆車開発実現したポルシェは、3年後1936年には流線型ボディ空冷リアエンジン方式の1,000cc試作車完成1938年には計画通り量産化着手している。この際車名ヒトラーにより「KdF-Wagen」(歓喜力行車)とされた。後の、「かぶと虫」(独: Käfer、英: ビートル)の愛称世界的に親しまれ名車フォルクスワーゲン・タイプ1である。当記事では以降フォルクスワーゲン」とする(企業名混同せぬよう注意)。 またこれと並行し、やはりヒトラー後援受けたアウトウニオン依頼で、ミッドシップ方式レーシングカー「Pヴァーゲン」を1934年開発同時期に開発されライバルメルセデス・ベンツ・W25シリーズと並ぶ高性能レーサーであり、両車はヨーロッパ多くレース席巻した。1936年にはヴィルヘルム・エクスナー・メダルを、1938年にはノーベル賞対抗してナチス・ドイツ制定したドイツ芸術科学国家賞受賞した当時モーリスにいたアレック・イシゴニスはこの車両に強い感銘を受け、アウトウニオンシャシスケールダウンとともに簡略化たような構造の750ccスプリントカー製作したであったフォルクスワーゲンとアウトウニオン・レーサーは、いずれもポルシェ開発能力だけでは成立し得ずヒトラー意向による国家的後援があっての存在であった廉価高性能フォルクスワーゲンヒトラー大衆政策として開発指示したものであり、銀色アウトウニオンは、国威発揚のための宣伝の具であった。その他第二次世界大戦直前から戦争中にかけてポルシェ風力プロペラを回す風力発電機、フォルクスワーゲンエンジンを流用したサーチライトエンジン5気筒星型エンジンをアンダーフロアに搭載したバス新型ラバーサスペンション、V16エンジンミッドシップ横掛け3人乗りのPヴァーゲンなど多様なデザインこなしたその中で特筆すべき速度記録T80である。 詳細は「メルセデス・ベンツ・T80」を参照 純粋な技術者政治関心のなかったポルシェは、ヒトラーに対しても「総統閣下」などの敬称用いずに「ヒトラーさん」と一般人同様の呼び方をしていた。しかしポルシェの才を買っていたヒトラー気にせず受け入れ開発資材潤沢与えた

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