独立から20世紀半ばまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 00:53 UTC 版)
「グアテマラの歴史」の記事における「独立から20世紀半ばまで」の解説
「近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立」も参照 グアテマラ建国以後の歴史は、革命、クーデター、非民主主義政権、特にアメリカ合衆国からのさまざまな内政干渉に彩られている。 1789年のフランス革命により、ヨーロッパでの政局は混乱した。大革命によりナポレオン戦争が勃発すると、1808年には半島戦争により、本国スペインがフランス皇帝ナポレオン1世に侵攻され、ナポレオンがボルボン朝のフェルナンド7世を放逐して兄のジョゼフ・ボナパルトをスペイン王ホセ1世に据えると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否した。 グアテマラ総監領は1821年にスペインから独立を宣言し、同年内にアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国に併合されたが、1823年にメキシコ帝国は崩壊し、新たに結成された中央アメリカ連合州(Provincias Unidas del Centro de América)の一州となった。 中米連邦では、最初から内紛が絶えなかったが、1827年から1838年にかけ、ラファエル・カレーラの率いる保守主義のグアテマラ派と、フランシスコ・モラサンの率いる自由主義のエル・サルバドル派の内戦に陥り、結局カレーラが勝利して連邦は解体に至り、1839年グアテマラは独立国となった。 内戦に勝利し、連邦派を駆逐したカレーラはそのままグアテマラの政治を支配し、以後グアテマラは1865年にカレーラが死ぬまで強力な保守統治が行われることになる。カレーラは保守政治家だったが、その一方でインディヘナに対しては共有地の保護などの優れた政策を行った。また、1856年のウィリアム・ウォーカーとの国民戦争の際にはグアテマラも中米連合軍の一員に加わった。 1871年には自由党が内戦に勝利して政権に就き、1873年にはフスト・ルフィーノ・バリオスが大統領になった。以降1885年までバリオスの統治が続き、自由主義的な様々な政策が行われ、1879年には憲法が制定された。一方で、ホンジュラスやエル・サルバドルなど近隣諸国との戦争を続け、またこの時期にインディヘナの共有地は解体されて奪われ、大土地所有制が強化された。また、この時期から経済がコーヒーモノカルチャー化し、1880年代には実に輸出の9割近くをコーヒーが占めるほどであった。こうしたコーヒー農園を目指して移民が導入され、1893年には日本初のラテンアメリカ移民が行われた。 1898年にマヌエル・ホセ・エストラーダ・カブレーラが大統領に就任すると、22年間にわたり独裁政治を行った。伝統的な地主層を抑圧しつつ新興のコーヒー農園層を支援し、外国資本の優遇策をとった。これにより、運輸・貿易・コーヒー生産などの各産業において合衆国・イギリス・ドイツなどの資本が進出した。とりわけ、ユナイテッド・フルーツ社には広大な土地の取得権だけでなく主要鉄道の運営権も認められた。1920年に反政府運動が高まりカブレーラが失脚すると、政治的空白状況が生まれ、クーデターが繰り返される不安定な状況が続いたが、1931年にホルヘ・ウビコ将軍が隙を突いて権力を握ると、ウビコ以外は全て不自由であるといわれるほど苛烈な統治の下でグアテマラ社会の荒廃は一層進んだ。ただし、経済面では財政支出の削減や対外債務支払いの停止を行いつつ、コーヒー産業の保護・再建を進めて世界恐慌後の危機的状況を乗り切った。第二次世界大戦では連合国側に加わったが、戦争の長期化にともなうインフレが都市部の不満を招き、反ウビコ運動の高まりからウビコは1944年に追放され、僅かながらも民主主義の時代がグアテマラにも訪れた。
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