独立「太田氏」名乗り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 06:29 UTC 版)
「太田近江大掾藤原正次」の記事における「独立「太田氏」名乗り」の解説
大島村へ先に移転したのは安左衛門(のちの太田六右衛門)だった。「深川金屋之興并芝店之由緒」には万治元年(1658年)高輪移転後、安左衛門は閉店した本所・回向院裏の金屋の道具を買い取り、田中七右衛門の金屋に土や藁、縄、俵などを納めていた五本松(現・猿江付近)の百姓・次良左衛門から屋敷の土地を購入し独立した。安左衛門は姓を「太田」とし、大島で「太田六右衛門」の金屋が開業した。翌年、田中七右衛門も太田六右衛門の金屋の西隣にある土地を買い、高輪から河川に恵まれた大島村へと移転した。 以後、両家は大島村で代々鋳物業を営み、太田六右衛門は「釜屋六右衛門」や「釜六」、田中七右衛門は「釜屋七右衛門」や「釜七」の俗称で町民に広く知られ、両人とも江戸の長者番付けに名を連ねるほど繁盛した。 江戸時代に書かれた店の紹介書「江戸買物独案内」には、釜屋六右衛門の店として小網町2丁目に「鍋釜問屋」、深川上大嶋町に「釘鉄銅物問屋」の2店が掲載されている。
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