独立から20世紀末まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:05 UTC 版)
「ギリシャの地方行政区画」の記事における「独立から20世紀末まで」の解説
近代ギリシャの最初の行政区画は、ギリシャ独立戦争中(ギリシャ第一共和政)の1828年に、初代大統領イオアニス・カポディストリアスのもとで制定された (el:Διοικητική διαίρεση της Ελλάδας 1828) 。臨時政府が支配していたペロポネソス半島とエーゲ海の島々は13の τμήματα によって区分され、τμήματα はさらにエパルヒア(郡)によって区分された。 ギリシャ独立が承認されてギリシャ王国が建国されると、1833年に国王オソン1世のもとで地方行政制度が整えられた。全土(当時のギリシャ王国領土はペロポネソス半島、ギリシャ本土、キクラデス諸島のみからなる)は10のノモス(県)、43のエパルヒア(郡)によって区分され、さらに末端の行政区分としてディモス(市)が置かれた (el:Διοικητική διαίρεση της Ελλάδας 1833) 。ディモスの長は国王による任命となり、それまでのディモス(都市共同体)やキノティス(村落共同体)が持っていた自治権は否定された。 1836年にノモスは廃止され Διοίκηση による区分が導入されるが (el:Διοικητική διαίρεση της Ελλάδας 1836) 、1844年にクーデタが発生して立憲君主制に移行すると、1845年にノモスとエパルヒアによる区分が復活した (el:Διοικητική διαίρεση της Ελλάδας 1845) 。 オソン1世の退位後に迎えられたゲオルギオス1世のもと、ギリシャ王国は拡張を続ける。1864年にはイオニア諸島、1881年にはテッサリアがギリシャ領に編入され、1899年の行政区画再編によってノモスの数は26となった (el:Διοικητική διαίρεση της Ελλάδας 1899) 。1909年の改変を経て (el:Διοικητική διαίρεση της Ελλάδας 1909) 、1912年に地方制度が改められた (el:Διοικητική διαίρεση της Ελλάδας 1912) 。ギリシャはその後、クレタ・イピロス・マケドニア(1913年)、西トラキア(1923年)をその版図に組み込んだ。 第二次世界大戦後の1947年、イタリア領であったドデカネス諸島がギリシャの領土となり、現在のギリシャの領域が定まった。 1971年時点で、ギリシャ全土にはキノティタが5805、ディモスが256あり、首都圏とアトス山を除いて52のノモスが置かれていた。1971年、軍事政権(1967年 - 1974年)のもとで行われた地方制度の改変により、ペリフェリアという区分が導入された。全国は7つのペリフェリアによって区画され、それぞれに司令官が置かれたが、1973年に廃止されている (el:Διοικητική διαίρεση της Ελλάδας 1971) 。 1987年の地方制度改変に伴い、地理的な「地方」は行政区画としては廃止され、全国は13のペリフェリアによって区画されることとなった。
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