独立から南北スーダン国境紛争の終結までとは? わかりやすく解説

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独立から南北スーダン国境紛争の終結まで(2011~2013年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 02:40 UTC 版)

日本と南スーダンの関係」の記事における「独立から南北スーダン国境紛争の終結まで(2011~2013年)」の解説

南スーダン独立前日である2011年7月8日国連安保理決議1996採択され南スーダン平和維持活動を担う国際連合南スーダン派遣団国連南スーダン共和国ミッションUNMISS)が現地活動開始同年11月日本UNMISS司令部要員派遣し、翌2012年1月からは自衛隊施設部隊派遣されている(自衛隊南スーダン派遣)。 同年4月南北スーダン国境界部の油田地帯巡って武力紛争勃発したが、国連安保理南北スーダンいずれにも肩入れせず両国非難5月2日には両国に対して即時停戦要求した。翌2013年1月南北スーダン両首脳がエチオピアアディスアベバ会談し産油地帯扱いに関する暫定的な取り決め合意その後何度偶発的な衝突起こっているものの、南北スーダン武力紛争は一応の終息見た2013年5月、国を空けて外遊できる貴重なチャンス捉えてサルバ・キール・マヤルディ初代大統領初め訪日5月31日キール大統領安倍晋三内閣総理大臣との首脳会談行い、翌6月1日から第5回アフリカ開発会議TICAD V)にも参加した。なお、日本の元首級である内閣総理大臣天皇ともに、これまで南スーダン訪問した実績はない。 同年7月1日首都ジュバ在南スーダン日本国大使館開設赤松武参事官就任し同年10月11日特命全権大使昇格した

※この「独立から南北スーダン国境紛争の終結まで(2011~2013年)」の解説は、「日本と南スーダンの関係」の解説の一部です。
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