独立から現在までとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 独立から現在までの意味・解説 

独立から現在まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/27 16:55 UTC 版)

エスワティニの歴史」の記事における「独立から現在まで」の解説

1972年5月独立初の総選挙では王党派のインボコドボ国民運動(INM)が、立憲主義のングワネ民族解放会議(NNLC)を押さえ圧勝した1973年ソブーザ2世憲法廃止政党禁止し国王が行政・立法司法独占する絶対王政敷いた1977年には議会廃止し民族社会単位のティンクドラを導入した1978年10月新憲法公布し上院20議席下院50議席両院制導入した。しかし国王リップ拒否権などを持つ為議会の力は弱く、NNLCが反国王運動を行うも、指導者は即逮捕された。1982年ソブーザ2世死後王位継承による争い起き1年間続いた。、1983年保守派ヌトンビ王妃摂政とし、1986年4月25日には息子のマホセティベ王子ムスワティ3世として即位。ベキムピ王子首相となり、王位継承対立したムファナシビリ王子投獄される1990年代初めからNNLCや反政府組織人民統一民主運動 (PUDEMO) が王政批判憲法改正要求強める。国王はこれらを弾圧するも、NNLCやPUDEMOは国民の支持集め政府直接選挙制の一部導入などの改革行った1993年には20年ぶりの総選挙実施され多く閣僚経験者落選した。しかし反政府・反国王勢力1995年政府関連施設攻撃スワジランド労働組合 (SFTU) も同年1996年1997年ゼネラル・ストライキ実施したこうした動きを受けムスワティ3世1996年憲法委員会(CRC)を設置1998年2度目総選挙が行われた。 2000年もSFTU主導によるゼネスト実行され国境封鎖デモ起き2001年6月ムスワティ3世勅令非常事態宣言し国王批判的な新聞発行停止判事任命権国王が持つと規定したが、国内外の批判により翌月には撤回同年憲法委員会(CRC)が最終答申発表2002年2月国王指名憲法委員会委員15名が新憲法草案作り着手した2003年1月、パウエル・アメリカ国務長官は、スワジランド民主化進展しなければスワジランド製品アメリカへの輸出に関する特恵待遇見直すと警告した5月31日憲法委員会新憲法草案ムスワティ3世提出草案宗教結社集会の自由男女同権などを定めたが、絶対王政野党禁止維持された。 2004年には言論集会の自由認め新憲法制定されたが、依然として国王専制反対する野党勢力取り締まるなど相反する政策行っており、PUDEMOは「国王権力強化し体制永続化することが目的」と批判している。また、新憲法制定後も反対者不当逮捕ジャーナリスト労働組合指導者LGBTへの弾圧続いており批判受けている。 2018年ムスワティ3世により、国名エスワティニ改名した

※この「独立から現在まで」の解説は、「エスワティニの歴史」の解説の一部です。
「独立から現在まで」を含む「エスワティニの歴史」の記事については、「エスワティニの歴史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「独立から現在まで」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「独立から現在まで」の関連用語

独立から現在までのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



独立から現在までのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのエスワティニの歴史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS