独立からバンダ大統領引退まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/20 14:40 UTC 版)
「グアンダ・チャクアンバ」の記事における「独立からバンダ大統領引退まで」の解説
「1964年マラウイ総選挙」を参照 1964年、マラウイはイギリスの植民地から独立を遂げた。チャクアンバはその1964年の選挙から1980年まで、マラウイで唯一の合法政党であったマラウイ会議党の主要人物の1人であった。ヘイスティングズ・カムズ・バンダ大統領による統治が行われていた当時、チャクアンバは様々な閣僚を歴任し、また党若年層による民兵組織、Young Pioneersの司令官も勤めていた。しかし、1980年2月に扇動容疑で起訴され、懲役22年の刑を受けた。 「1993年マラウイ国民投票」を参照 1993年7月にチャクアンバは刑務所から出所すると、それから1ヵ月後に行われた1993年マラウイ国民投票で多党制導入に賛成した。出所後はいったん野党の統一民主戦線 (UDF) に所属したものの、すぐにマラウイ会議党へと復帰し、党の事務総長へと就任した。1994年2月には、マラウイ会議党の次期大統領候補として出馬したバンダは、副大統領候補としてチャクアンバを指名した。 「1994年マラウイ総選挙」を参照 1994年5月17日に開催されたマラウイ最初の複数政党選挙の結果、バキリ・ムルジが現職のバンダを破って大統領へと就任。また、統一民主戦線も第一党となった。その結果、バンダは1994年8月に政界を引退し、チャクアンバがマラウイ会議党の指導者となった。
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