深谷通信隊
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現在、泉区と戸塚区の区界の泉区側にある深谷通信隊跡地は、広さが773747m2の円形の国有地であるが、その4時方向、すなわち住宅前バス停を頂点とする北東から南にかけての一角は、基地開設以前、旧大正村大字汲沢小字畑ヶ田の一部であったという事情もあり、 汲沢もこの基地の歴史を共有していることになる。 戦前から戦後にかけての深谷通信隊の歴史を概説する論文があるが、その論文では、戦前、日本海軍により建設されたこの施設が東京海軍通信隊戸塚分遣隊を正式名称としたといい、船橋と蟹ヶ谷に通信拠点を置いていた東京海軍通信隊が昭和16年(1941年)、通信力強化を図るとの方針のもと、送信業務を担う戸塚分遣隊を新たに建設したとの経緯が述べられている。 基地開設の準備として、同年9月から昭和18年(1943年)7月まで敷地の買収と整地が行われたが、用地を提供した深谷の地主関係者によって書かれた書籍中には「軍に対する国民の義務として、軍用地の提供を余儀なくされた。土地提供者には後にわずかな地代が送られてきた」との記述があり、またその地代は一坪あたり一円だったとの証言も紹介されている。 上述の論文は、施設規模に関し、船橋の送信施設が直径800mだったのに対して、深谷は1kmとされたことから「戸塚分遣隊を「東洋一」の通信隊にするという強い意気込みが窺われる」と評している。昭和18年(1943年)に定められた通信系統図が同論文には掲載されており、トラック、サイパン、パラオ、アンボン、スラバヤ、ダバオ、シンガポール、マニラ、高雄、須海、呉、大阪、舞鶴ほか2か所に置かれた各通信隊とのネットワークが形成されていたことがわかる。昭和19年(1944年)3月15日、戸塚分遣隊は開隊にいたるが、当初の計画にあったコンクリート製建造物の建設は物資不足などの事情からすべてを間に合わせることができず、一部は木造となり、開隊時には依然として多くが建設工事中であったという当時の旧海軍の置かれた苦境とともに、原敏英隊長以下終戦当時の兵員数220名という人員規模が紹介され、さらに敵機の空襲に備えた地下通信所も設置されたが、中央部のフェンス内および県道東側に数基みられるコンクリート製構築物がそれにあたるのではないかとの推察が加えられている。 昭和19年(1944年)末時点での東京通信隊の設備状況一覧表も掲載されており、戸塚分遣隊の送信設備は、短波送信機が15kw12機、2kw8機、1kw7機、中波送信機が250w2機、50w電話1機という構成であったと読み取れる。海軍東京通信隊は西太平洋「全海域における作戦通信の中枢とされ、また連合艦隊の指揮下に加えられ、連合艦隊通信の中枢とされていた」ことを背景に、戸塚分遣隊の位置づけについて、船橋の送信施設との分担状況は不明としつつも、「無線設備の整備状況や海軍総隊指令部の送信を戸塚が日吉と直接行う計画があったことなどから、送信業務のかなり重要な部分を担当していたのではないかと想定される」と述べられている。 同論文ではさらに、終戦後の歴史を語る中で、昭和20年(1945年)9月20日、米軍の進駐とともに旧海軍施設としての終焉を迎えたこと、同年10月中旬、戦艦ミズーリ号艦長ウィリアム・キャラバンと想定される人物が来訪し、通信施設としての機能維持および米軍への協力を要請したこと、同年11月に逓信院東京無線電気工事局戸塚分局が設置され、米軍との契約が解除される昭和32年(1957年)まで存続したこと、同分局従業員向け宿舎50戸、独身寮1棟が昭和44年(1969年)に解体されたが、住宅前というバス停名にその記憶がとどめられていることが挙げられるとともに、上瀬谷の旧海軍施設が通信基地とされたのは米軍による接収後である点が指摘されている。 在日米軍管理下においては、「西太平洋からインド洋にわたる地域に展開する米軍艦船および航空機等に対する送信業務を行ってい」た一方、中央部のフェンスの外側区域は、昭和45年(1970年)12月に耕作地として使用が許可され、「深谷基地懇ニュース」によると、平成17年(2005年)時点で野球グラウンド13面、市民菜園1100か所を数えたという。 日米政府間で返還方針についての合意が平成16年(2004年)に成立したのを受け、平成26年(2014年)6月、日本側へ返還されたが、返還後の跡地利用に関しては、「災害時に広域的な防災拠点として利用できる防災機能の充実を図るとともに、豊かな自然環境を創出し、市民の活動拠点となる広場や多様な市民ニーズに応えるスポーツ施設等を備えた、魅力的な公園の整備を目指」すとの目標のもと、深谷通信所跡地利用基本計画が横浜市により平成30年(2018年)に策定されている。
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