返還後の跡地利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:36 UTC 版)
「ボーローポイント」の記事における「返還後の跡地利用」の解説
1972年の本土復帰を経て、1974年から1977年の間に、沖縄戦から継続して占領され、基地として強制接収されていた83%の面積が返還された。この時に区域東側の通信施設が残され瀬名波通信施設へと名称が変更になったが、2006年にマイクロウェーブ塔を残して返還となった。 現在はサトウキビや花きやマンゴー等の農地の他、リゾートホテルの開発が進んでいる。最初に誘致されたのは残波ロイヤルホテルで、次にホテル日航アリビラ、青い海GALAには、「残波の夕日」などの作品を持つ琉球ガラス工房もある。また読谷に本社を持つ御菓子御殿、ジ・ウザテラスなどもオープンした。むら咲きむらはNHK大河ドラマ『琉球の風』のロケ地の譲渡をうけ、地元の商工会が組織を作り運営してきた。読谷の海岸線と農用地の中にリゾートホテルがあるという沖縄のパストラル・リゾートのかたちが形成された。
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