返還概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 09:12 UTC 版)
北キャンプは、ベトナム戦争からの米軍撤退を受けて陸軍部隊が1970年代前半に他の米軍基地へ移転し、代わって第5空軍第475基地航空団の管轄下に置かれていたが、1976年(昭和51年)11月30日に変電施設および給水施設、ならびに中心部分を除く401,246平方メートルが返還された。なお、返還された土地のうちの未返還地区の縁辺部分に隣接する3,846平方メートルの区域は返還時の取り決めにより、緩衝地帯として保持する目的で事実上米軍へ継続提供され、跡地利用が留保・制限されていた。 1980年(昭和55年)12月19日には、県立朝霞西高の開校により、同校の校庭内に残存していたノースキャンプの給水施設(土地約80.94平方メートル、建物約18.39平方メートルほか井戸、囲障等工作物)と地下に埋設されていた水道管の地役権が返還された。 残余の未返還地区である117,359平方メートルは米空軍の自動デジタル通信網スイッチ施設として使用されていたが、1980年代半ばまでに米軍の通信網やシステムが近代化されたことに伴って横田飛行場への機能移転が決定し、移転完了後の1986年(昭和61年)2月14日をもって北キャンプの全域が返還された。 南キャンプは、1973年(昭和48年)1月23日に行われた日米安全保障協議委員会第14回会合において協議された「関東平野合衆国空軍施設整理統合計画(KPCP/通称・関東計画)」に基づき、1973年(昭和48年)6月20日に南地区内のゴルフコース・リクリエーション施設・兵舎地区の大部分が返還されたのを始めとして、1978年(昭和53年)7月10日までに現演習地である根津パーク地区、住宅地区、放送局地区、ベーカリー・製パン工場地区も順次返還され、後は国有地などになる。このことから跡地には国の施設や公団などが多く建設されていることが特徴である。現在、和光市南地区にあたるAFN送信用アンテナが設置されている敷地が残るのみとなっている。
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