欠番までの経緯とは? わかりやすく解説

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欠番までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 22:22 UTC 版)

スペル星人」の記事における「欠番までの経緯」の解説

1967年12月17日『ウルトラセブン』第12話初回本放送が行われた。 1968年4月講談社より出版され週刊少年マガジン19号5月5日号)に「吸血宇宙人」の別名がついたスペル星人掲載された。 1968年5月30日秋田書店より出版されフリーライター大伴昌司代表作写真で見る世界シリーズ カラー怪獣ウルトラ図鑑』の初版に、「被爆星人」の別名がついたスペル星人掲載された。 1970年3月3日の『週刊ぼくらマガジン』の付録世界怪獣王円谷英二」に、「ウルトラ」Q、マンセブン怪獣名が列挙されているがスペル星人だけがない。 1970年4月講談社より出版された『たのしい幼稚園5月号に「きゅうけつかいじゅう」の別名がついたスペル星人掲載された。 1970年7月10日黒崎出版より出版された『ウルトラ怪獣写真えほん オールカラー版』の初版に、「きゅうけつかいじゅう」の別名がついたスペル星人掲載された。その後同年12月20日出版され第6版以降該当箇所ギャンゴ写真差し替えられている。 「吸血宇宙人」「きゅうけつかいじゅう」「被爆星人」、別名をつけずスペル星人の名前のみ記載など、最初から一貫した名の表記はなかった。 本放送時後に何度も行われた再放送時でも、問題視する反響はなかった。 1970年夏、『ウルトラセブン』プロデューサー安昌美の実弟当時円谷プロ営業担当していた末安正博は、親交のあった竹内博当時中学3年)に詳しい設定資料作ってほしいと依頼した竹内は、大伴担当した怪獣図鑑文献『週刊少年マガジン』『ぼくら』などの雑誌記事をまとめた資料集作成した。この資料上では、スペル星人の別名は「被爆星人となっていたが、円谷公認設定案として採用され各出版社に配布された。 1970年10月1日小学館より出版された『小学二年生11月号のふろく「かいじゅうけっせんカード」に「ひばくせい人」の別名がついたスペル星人掲載された。 1970年10月4日前述カード見た女子中学生が、フリージャーナリストにして東京都原爆被害者団体協議会専門委員でもあった父・中島龍興筆名中島竜美)に相談しカード記載された「ひばく」の文言問題視し中島は『小学二年生』の編集長抗議の手紙送った中島がこの件を所属していた市民サークル原爆文献を読む会」のメンバー話したところ、メンバー知り合い朝日新聞記者にこの問題伝えた1970年10月10日朝日新聞に『被爆者怪獣マンガ』『「残酷」と中学生指摘』などの見出しとともに実際に被爆した人たちがからだにケロイドをもっているからといって怪獣扱いされたのではたまらないと思った」との中島長女感想や、「現実生存している被爆者をどう考えているのか、子供たち質問にどう答えるのか」との中島抗議文と「同社小学館)からの返事はまだない」などの記事が、小学館円谷プロ両社からの正式なコメントがない中で掲載された。 この後中島小学館訪れ当時小学二年生』の編集長だった井川浩を相手に「バンバンたたく激し抗議」を行なったとされるが、中島は後のインタビューで「当時 被爆者差別多くなっていた」と抗議背景触れたうえで「相当頭にきたんでしょうね。(中略カードしか見てないのに、抗議というわけですから」「僕の抗議著作権の問題でいうと2次使用問題にしたということ。でもそれが広がってしまって放送そのものへの抗議発展しちゃったんです。はずみがついて運動盛り上がってしまった」「カードなければ抗議はしなかったと思う 放送したTBS抗議はしていない」「番組見ず抗議したのは大きな問題だった」「記事は少しオーバー思ったが、直接抗議行った」「私の投書結果的に第12話封印させてしまった 表現の自由潰してしまったという思いがある 簡単に存在をなくすことは怖いことだ」などのコメント残している。 抗議受けた井川は、後年インタビュー出版元として「被害者への配慮足りなかったと思い紙面謝罪した」「被害者怪獣扱いしたつもりはないので、被害者怪獣扱いしたと報じた新聞にはこちらも抗議し20紙以上が報道詫びたが、朝日新聞一切対応しなかった」などのコメント残している。 抗議受けて竹内作成した設定資料の「被爆星人」の別名が黒く塗りつぶされ、「吸血星人」に差し替えられた。 当時円谷プロ状況振り返り竹内は「社長にまで及んだ抗議社員戸惑っていた 上司頼まれ私はハサミスペル星人円盤のスチールネガを切った」、円谷プロで元特殊技術スタッフだった熊谷健は「被爆者差別するといった気持ちはなかった。しかしケロイドクレームがつき弁解できず」などのコメント残している。 カード記載された別名の引用元となった怪獣ウルトラ図鑑』の著者である大伴昌司は、円谷プロから「(スペル星人の)設定特徴は、大伴作ったんじゃないか、けしからん」と叱られ一時ノイローゼになったらしいと当時出版社人間から聞いたとの竹内博コメント残されている。第12話封印後、大伴竹内に対して一度スペル星人について語ることはなかったという。 1970年10月21日朝日新聞記事皮切りに全国拡大した抗議活動により、『小学二年生11月号だけでなく、カード同様に被爆星人」と記載のあった既刊の『怪獣ウルトラ図鑑』などにも矛先向けられ円谷プロは、発行元としての配慮不足について謝罪した被害者怪獣扱いしたとの報道については、「原水爆否定する気持ちと全く変らない態度製作したものであります」「従いまして、一部新聞報じましたような被爆者怪獣扱いしたとか、モデルにしたなど、そのような考え製作したものでは毛頭ありません」と否定し、「今後一切スペル星人に関する資料の提供を差し控える」と約束した再放送中の第12話放送急遽中止したことにより、抗議は一旦収束した。 しかしその半年後、本編二次使用作品である『ウルトラファイト』の再放送スペル星人再登場したことから、円谷側は再び謝罪追い込まれ解決策として第12話作品自体封印することを決めたとされる封印については長らく制作関係者出演者に対して伝えられることはなく、後のインタビュー佐々木守は「知ったのはずっと後。原爆実験はいけないということ子供たちわかってほしいと思い書いたが、封印され問題大きくなり困った」、友里アンヌ役のひし美ゆり子は「封印したことを知らされなかった」、中島は「(インタビュアー何が問題だったのかわからないという発言に対して)それが一番の問題、私はウルトラセブン愛好者から加害者第一号として叫弾された 不明瞭な形で封印されたからそのようなリアクションが出る」など、封印経緯説明の不足を指摘するコメント残っている。

※この「欠番までの経緯」の解説は、「スペル星人」の解説の一部です。
「欠番までの経緯」を含む「スペル星人」の記事については、「スペル星人」の概要を参照ください。

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