機械力の導入とは? わかりやすく解説

機械力の導入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:41 UTC 版)

笹子トンネル (中央本線)」の記事における「機械力の導入」の解説

笹子トンネル工事では、古川阪次郎指揮により次々新技術導入されたことも特徴となっている。 まず削岩機西口1897年明治30年9月12日から、東口では10月30日から運転を開始した削岩機北陸本線柳ヶ瀬トンネル(1,352 m)の工事初め日本導入されたもので、この時点では前例はあまり多くなかったが、中央東線全体開通時期を左右する重要な工事であり特に硬い岩では手作業より効率優れるのは明白であったため導入決定された。当初作業員不慣れ手間取ることもあったが、熟練するにつれて改善され効率向上に大きな力を発揮した。 この削岩機は、坑外設置した蒸気機関により空気圧縮機運転し圧縮空気鉄管坑内送ってその圧力により動作する仕組みになっていた。長いトンネルでは換気問題が常に生じ、特に坑口付近に切土区間があって換気条件が悪い東口においては唐箕用いて送風試みるほどであったが、この圧縮空気動作する削岩機使用後空気そのまま坑内排出されるため換気効果期待された。このため1898年明治31年)の予算縮減経費不足により削岩機使用一時中断した際にも、送風のみは続行した設置されボイラー東西とも伝熱面積160平方フィート(約14.9平方メートル)、圧力80psi(約550 kPa、約5.5気圧)の公称16馬力のもので、さらに1900年明治33年8月小仏トンネル使用されていた同一仕様ボイラー東口増設されて2台となった。また西口では電力利用して1900年明治33年9月からウェスティングハウス・エレクトリック製の直流100 V40馬力電動機運転して空気圧縮機駆動するようになり、従来蒸気機関廃止して良好な結果得た削岩機当初切り広げでの使用行ったが、もっとも掘削が困難で全体進行影響与えるのは導坑掘削であったため、最終的にすべて導坑掘削のみに削岩機投入した当初東西それぞれ3台ずつ使用した常時2台を使用している状況で不足が感じられたため、輸入品を基に国内で7台を模造し、さらに1台を別途導入して結局東西7台ずつ合計14台で運用した通信手段用意され1897年明治30年10月には八王子-黒野田-初鹿野-勝沼結んで電信開通して以後資材輸送計画などに用いられた。また1899年明治32年)になり電力得られるうになると、発電所工事事務所坑内の大マンホール結んで電話設置された。これにより、それまで工事計画材料輸送などの伝達徒歩往復2時間もかかかっていたが、電話開通によってその時間はかからなくなり大幅に作業効率改善された。 坑内では、当初カンテラ照明用いられており、カンテラが出す一酸化炭素等の有害物質によって空気汚染されていた。これに、作業員呼気含まれる二酸化炭素加わり人数増加する坑内空気はますます汚染され作業効率極めて悪く作業員体調をも害するようになっていた。その後削岩機の運転に伴って換気を行うようになり、坑内環境はやや改善されたが、さらなる改善のためにカンテラ廃して電灯点灯することになった日本トンネル工事電灯利用したのも笹子トンネル初めてであり、これによって坑内環境作業効率ともに大幅な改善見られたという。 東口では1899年明治32年6月電灯設備起工し11月から使用開始した坑口200間(約364 m)上流笹子川堰堤水門設置して取水し、173間(約315 m)の水路流れて鉄管入り水車駆動する水力発電所設置した水車はジョンスバートン製の横軸ダブルディスチャージヴォルテックスタービンで20馬力落差32フィート(約9.8 m)、毎分235回転のもので、発電機三吉商会125 V・120 A・15 kW直流発電機であった。これでさらに不足してくると小仏トンネル使用していた発電機移設され、1901年明治34年6月14日運転開始した。こちらも水車はジョンスバートン製横軸ダブルディスチャージヴォルテックスタービンで15馬力落差32フィート毎分185回転で、発電機石川島造船所125 V・60 Aの直流発電機であった最終的に坑内坑外合わせて276個の電灯点灯した西口では1899年明治32年10月起工し1900年明治33年6月23日から電灯使用開始した坑口から20チェーン(約400 m上流日川堰堤設置して取水12チェーン50リンク(約250 m)の水路導水した。水車はジェームスレッフェル製横軸シングルディスチャージタービンで68馬力落差50フィート(約15 m)、毎分557回転のもので、発電機ウェスティングハウス・エレクトリック125 V・450 A・56.25 kWのものを設置した。これにより最大273個の電灯点灯した。これらの電灯設備により空気汚染軽減しただけではなく明る光量得て作業能率大い改善する効果があった。 また、掘削した岩石のずりを運びだし、必要とされる資材坑内運び込む作業も重要であった。ずりに関しては、トンネル坑口の外における路線盛土用に多く転用したが、最大で1マイル(約1.6 km)以上も先まで土砂捨てに行く必要があり、坑内から合わせる最大3マイル(約4.8 km)もの運搬距離となった。これは線路敷設してトロッコでの運搬行い、1ヤード当たり20ポンド(約10 kg/m)のレール用い坑内上段では軌間2フィート(約609 mm)、下段では3フィート(約914 mm)とした。当初人力運搬していたが、東口では1900年明治33年2月から水力発電所電力利用して電気機関車の運転を開始した。また西口では1898年明治31年7月馬力導入され、さらに1901年明治34年1月に牛力に変更された。牛馬の力は電気機関車には劣ったが、人力よりははるかに優れていたという。 笹子トンネル東口運転され電気機関車は、国鉄記述した資料などでは日本初であるとするものがあるが、実際に足尾銅山などで使用先例があると指摘されている。導入当たって軌間30インチ(762 mm)に変更している。また電力別途発電所建設しており、やはり笹子川の上流から導水し、水車はジェームスレッフェル製横軸ダブルディスチャージタービン46.5馬力落差80フィート(約24 m)、毎分900回転のものを、発電機ゼネラル・エレクトリック550 V・90 A・45 kWのものを設置した。これを架空式の電車線送電し、電気機関車ボールドウィン・ロコモティブ・ワークスおよびウェスティングハウス・エレクトリック製の2軸12トン15馬力鉱山機関車導入した。また貨車はアルトゥル・コッペル製のものであった電気鉄道導入効果大きく坑内空気汚染しないばかりかそれまでずりが坑内溜まりがちで工事支障を来すことがあったのが一掃され逆に運ぶものが無いと掘削催促されるほどであった材料運搬にも便利で不要な資材坑内保管する必要が無くなり現場整理整頓進んだ。また作業員入退出においても便乗することができたため、労力軽減つながった

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