検討された選択肢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 04:31 UTC 版)
「エドワード8世の退位」の記事における「検討された選択肢」の解説
このような噂や議論の結果、イギリスの体制の中では、シンプソンが王妃になる事はできないという観測が強まっていった。スタンリー・ボールドウィン首相は、エドワードにシンプソンとの結婚は国民の大多数が反対するであろう事を明確に忠告し、もし大臣たちの忠告を聞かずに結婚するなら、内閣は総辞職する事になると迫った。国王は、後に自身で語った所によれば、「私は、シンプソン夫人が自由に結婚できるようになったら、すぐにでも結婚するつもりだ... もし政府が結婚に反対するなら、首相がそうするだろうと私に思わせたように、私は退位する準備ができている。」と答えたという。 退位を示唆されて「驚いた」ボールドウィンは、国王からの圧力を受けて3つの選択肢についてさらに検討する事に同意した。 エドワードとシンプソンが結婚し、彼女が王妃となる(王室の結婚)。 エドワードとシンプソンは結婚するが、彼女は王妃にはならず、代わりに何らかの儀礼称号を得る(貴賤結婚)。 エドワードの退位と彼の子孫の王位継承権の放棄、これによって彼は憲政上の問題を引き起こす事なく、結婚に関するあらゆる決定を行えるようになる。 第2の選択肢は、ヨーロッパ大陸になら、エドワードの曽祖父にあたるヴュルテンベルク公アレクサンダーをはじめとする先例があったが、イギリスの憲政史上では類例がなかった。 自治領5ヵ国(オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、南アフリカ、アイルランド自由国)の首相に尋ねた所、「第3の選択肢に代わる物はない」という意見が多数を占めた。カナダ首相のウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング、オーストラリア首相のジョゼフ・ライオンズ(英語版)、南アフリカ首相のジェームズ・バリー・ミューニック・ヘルツォークは、第1と第2の選択肢に反対した。マッケンジー・キングはエドワードに対し「自分の心の中で正しいと信じる事」をすべきと助言し、カナダ政府はシンプソンへの感情よりも義務を優先するよう訴えた。カナダ総督のトゥイーズミュア卿は、バッキンガム宮殿とボールドウィンに、カナダ人は国王に深い愛情を抱いているが、エドワードが離婚経験者と結婚したら、カナダの世論は憤慨するだろうと伝えた。ニュージーランド首相のマイケル・ジョセフ・サヴィッジ(英語版)は第1の選択肢を否定し、第2の選択肢については「もし、これらの線に沿った何らかの現実的な解決策があるなら......可能かも知れない」と考えるが、最終的には「本国政府の決定に導かれるだろう」と答えた。アイルランド自由国の行政評議会議長(英語版)のエイモン・デ・ヴァレラは、イギリス政府との応対の中で、アイルランド自由国はローマ・カトリックの国家であり、離婚が認められていないと述べた。彼は、イギリス国民がウォリス・シンプソンを受け入れないのであれば、退位が唯一の解決策であると考えた。11月24日、ボールドウィンは、3人の主要な対抗勢力の政治家に相談した。第一野党の党首(英語版)のクレメント・アトリーと自由党党首のアーチボルド・シンクレア(英語版)、そしてウィンストン・チャーチルである。シンクレアとアトリーは、第1・第2の選択肢は受け入れられないという意見で一致し、チャーチルは政府を助ける事を約束した。 しかし、チャーチルは政府を助けなかった。7月には、国王の法律顧問であるウォルター・モンクトン(英語版)に離婚に反対するよう助言していたが、無視された。 不倫が公になるとすぐに、チャーチルはボールドウィンと国王に対し、議会と国民の意見が反映されるまで決定を先延ばしにするよう圧力をかけ始めた。チャーチルはタイムズ紙の編集者であるジェフリー・ドーソン(英語版)に宛てた私信の中で、時が経てば国王のシンプソンに対する熱が冷めるかも知れないとして、引き延ばしは有益であると示唆していた。 おそらく危機の早期解決を望んだボールドウィンは、この引き延ばし要求を拒否した。国王の支持者たちは、ボールドウィン、ジェフリー・ドーソン、カンタベリー大主教のコスモ・ゴードン・ラング(英語版)の間の陰謀の存在を主張していた。王室の侍医であるバートランド・ドーソン(英語版)は、心臓病を理由に首相を引退させる計画に関与していた可能性があったが、彼は最終的に心電図を根拠として、ボールドウィンの心臓が健康である事を認めた。 まとまりを欠いた国王の政治的な支持層は、チャーチル、オズワルド・モズレー、共産主義者などの主要政党から疎外された政治家から成り立っていた。 元首相のデビッド・ロイド・ジョージも、シンプソンの事は嫌っていたものの国王を支持していた。しかし、彼は愛人のフランシス・スティーブンソン(英語版)と休暇でジャマイカに滞在していたため、この危機の中で積極的な役割を果たす事はなかった。12月初旬、国王支持者が、チャーチルを中心とした「国王党」に合流するという噂が流れた。しかし、運動を組織化するための努力が払われる事はなく、チャーチルにそのような運動を率いるつもりもなかった。とはいえ、国会議員たちが、国王の政治介入という事態に恐怖を感じている状況下では、この噂は国王とチャーチルにとって大きな痛手となった。 労働者階級の人々や元軍人は手紙や日記の中で一般的に国王への支持を、一方で中流階級や上流階級の人々のそれは憤激や嫌悪感を示す傾向が見られた。タイムズ、モーニング・ポスト(英語版)、デイリー・ヘラルド(英語版)、デイリー・テレグラフなどのケムズリー卿(英語版)によって所有されている新聞は結婚に反対の論陣をはった。一方、それぞれビーヴァーブルック卿とロザミア卿が所有するデイリー・エクスプレスとデイリー・メールは、貴賤結婚を支持する傾向がみられた。国王は、賛成派新聞の発行部数が250万部、反対派新聞は850万部であると見積もっていた。 12月3日、エドワードはボールドウィンと「緊張の中で」会談を行った。 チャーチルやビーヴァーブルックの後押しもあり、エドワードはBBCの放送を通じて演説する事を提案した。提案された草稿の内容は、国王が「国民に向けて公の場で語る」という「古来の慣習」を呼び起こす物だった。聴衆に「私は、王太子時代から"Ich Dien"をモットーとしている人物と同一であり、これからも引き続き私は仕えます。」と語りかけるエドワードが提案した演説草稿は、シンプソンと貴賤結婚しても王位にとどまる事を望み、退位を余儀なくされた場合でも復位への望みを示した物であり、草稿のある個所で、エドワードは次のような案を提示した。 私もシンプソン夫人も、彼女が王妃になるべきだと主張した事はありません。私たちが望んでいたのは、結婚して幸福になる事、彼女に私の妻にふさわしい称号と尊厳が与えられる事でした。ようやく皆様を信頼する事ができたので、しばらくの間離れる事にしました。そうすれば、私が言った事について、落ち着いて静かに、しかし過度に遅れる事なく考える事ができるでしょう。 ボールドウィンは、「多くの人に衝撃を与えるだろうし、憲政の原則に対する重大な侵害になる」として、この演説を阻止した。 近代的な慣習では、国王は閣僚の助言や相談によってのみ行動が可能となる。エドワードは、政府に対する国民の支持を求めるにあたり、拘束力を伴う閣僚の助言に反対し、代わりに個人として行動する事を選択した。エドワードの閣僚たちは、エドワードがこの演説を提案する事によって、憲政上の慣習を軽視する態度を明確にして、国王の政治的中立性を脅かしたと考えた。 2013年に公開された内閣府のファイルによって、1936年12月5日以前、内務大臣のジョン・サイモン卿が、イギリスの電話サービスを管理する中央郵便局(英語版)に「フォート・ベルヴェデーレおよびバッキンガム宮殿とヨーロッパ大陸の間の電話通信」を傍受するよう命じていた事がわかっている。 12月5日、王位を維持したまま、シンプソンと結婚する事は不可能と言われ、帝国に向けた放送で「自身の言い分」を説明するという提案が憲政上の理由で阻止されたため、エドワードは第3の選択肢を選んだ。
※この「検討された選択肢」の解説は、「エドワード8世の退位」の解説の一部です。
「検討された選択肢」を含む「エドワード8世の退位」の記事については、「エドワード8世の退位」の概要を参照ください。
- 検討された選択肢のページへのリンク