検視官による調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 22:13 UTC 版)
「バス学校爆破事件」の記事における「検視官による調査」の解説
事件発生当日には検視官が現地に到着し、この事件に関する調査を行う陪審員団に就任した。検視官による調査は翌週まで続き、バスの住民12人と、警察関係者が陪審で証言した。証人への尋問はクリントン郡の検察官が行った。キーホーが犯人であることに疑問の余地はなかったものの、陪審は教育委員会やその関係者に過失責任がないかどうかを評決するように求められたのである。 キーホーの隣人の1人(既出の男性とは別人)は、火災が発生した後、キーホーがこの隣人とその3人の息子に対し、「君達は私の友人だ。ここを出て学校に行った方がいい」と、彼らの農場から離れるよう警告したと証言した。バスの近くで働いていた電話線架設作業員の3人は、最初にキーホーの農場に行き、次に学校に行ったが、学校へ向かう途中、キーホーが彼らを追い越し、彼らが学校に到着する直前にキーホーが学校に到着するのを目撃したと証言した。彼らはその証言の中で、キーホーの自動車はカーブして学校の正面に停止し、次の瞬間には爆発して、彼らの内1人に爆発物の破片が当たったとも述べた。この証言は、キーホーが学校に到着して少ししてから校長を呼び寄せたという他の人々の証言と食い違っている。 1週間以上続いた審理の後、陪審は教育委員会とその関係者に過失がないと結論を下した。評決では、キーホーには責任能力があったため、周囲から疑われることなく計画を隠しおおせることができたと結論付けている。また、評決では学校用務員の男性にも、キーホーの計画を発見できなかったことについて責任なしとされている。 校長のエモリー・ヒューイックは、5月18日の午前中にキーホーによって殺害されたと断定された。また、学校の爆破はキーホーが誰とも共謀せずに単独で計画、実行したもので、キーホーは最終的に妻ネリーを含む計43人を殺害したと断定された。 また、キーホーの死亡は自殺によるものとされ、この時点におけるこの事件での死亡者数は、キーホーを含め合計で44人とされた。 キーホーの遺体は、彼の兄弟姉妹の1人に引き取られて葬儀を行わずに無名の墓碑の下に埋葬された。後にキーホーの埋葬場所は、クリントン郡のマウント・レスト墓地(Mt. Rest Cemetery)の貧困者埋葬区域内であることが判明している。 妻のネリーはランシングのマウント・ホープ墓地(Mount Hope Cemetery)に、実家のプライス家の墓所に埋葬された。墓碑には旧姓でプライスと記されている。 事件からおよそ3ヶ月後の8月22日、事件による負傷で入院していた第4学年の女児が手術後に死亡し、この事件における45番目の犠牲者となった。
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