検見川線
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京成千葉駅 - 吾妻町二丁目(現・中央二丁目) - 稲毛海岸 - 検見川小学校 - 畑小学校 1958年(昭和33年)2月15日運行開始。昭和40年代に新検見川駅で打ち切られ、長沼営業所へ移管。 詳細は「京成バス長沼営業所#検見川線、瑞穂の杜線」を参照
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検見川線
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新検見川駅 - 千葉西警察署 - 東京歯科大正門前 - 美浜区役所入口 - 検見川浜駅 新検見川駅 - 五丁目18街区 - 真砂四丁目 - 検見川浜駅 1973年8月5日:新検見川駅 - (真砂五丁目) - (真砂二丁目) - 新検見川駅を開通。 1985年頃、平日朝のラッシュ時のみ、新検見川駅 - (真砂中央公園) - (真砂二丁目) - 新検見川駅の臨時便を運行。 1986年3月3日:新検見川駅 - 検見川浜駅に変更。真砂二丁目経由便と真砂五丁目経由便の2系統。 2000年6月1日:真砂二丁目経由便を真砂二丁目・東京歯科大正門経由に変更。 2002年12月16日:真砂五丁目経由便を真砂コミュニティセンター(現・真砂四丁目)経由に変更。 新検見川駅を発着する路線は磯辺線と検見川線の2線があるが、先に開通したのはこの検見川線である。1973年に開通し、当時は新検見川駅だけがターミナルだったため、新検見川駅 - (真砂五丁目) - (真砂二丁目) - 新検見川駅の循環運行をしていた。運行本数は1日200本にも及んでいたとのことである。また、行先表示は、「新検見川駅 - 検見川ニュータウン」であった。 高洲第一団地線が遠く離れた幕張を起点としていたのに対し、この線は開通時から新検見川駅に乗り入れていた。これは、早くにアクセス道路(検見川陸橋)や駅前乗り場の整備が済んでいたためである。しかし、当初は現在のようなロータリーはなく、仮の乗降場と転回スペースが設けられていただけであった。また、駅舎も橋上化されていなかったので、乗客はバスを降りると、ホームの東京寄りにあった改札まで歩いていかなければならなかった。 その後、京葉線が開通したことにより中間部で路線が分断され、新検見川駅 - 検見川浜駅間の往復線となった。また、同線の運行エリアと検見川浜駅が近いこともあって、運行本数は大幅に減らされた。さらに、二丁目経由便、五丁目経由便とも若干のルート変更を行い今に至っている。
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検見川線
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「平和交通 (千葉県)」の記事における「検見川線」の解説
新検見川駅 - 朝日ヶ丘 - 西小中台団地 新検見川駅 - 朝日ヶ丘 - 西小中台団地 - 検見川町 - 新検見川駅(循環) 新検見川駅 - 検見川町 - 西小中台団地 新検見川駅 - 検見川町 - 西小中台団地 - にれの木台中央 新検見川駅と西小中台団地を連絡する目的で設置された路線であり、平和交通がバス事業を始めるきっかけとなった最初の路線である。運行を開始したのは1975年で、当初は10人乗りのワゴン型車両で西小中台団地と新検見川駅北口を結んだ。その後、利用者の増加に伴い全長7mクラスのマイクロバスに切り替え、1979年に起点が新検見川駅南口ロータリーに移ったのち、ルートや停留所の新設を経て今に至る。 基本となるのは、新検見川駅 - 朝日ヶ丘 - 西小中台団地の便であり、日中はこれのみが運行され、ラッシュ時には一部の便が循環や検見川町経由となる。
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