柏の少女殺し事件
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柏の少女殺し事件(かしわのしょうじょごろしじけん)とは、1981年に千葉県柏市で発生した殺人事件である。
注釈
- ^ 付添人は刑事裁判における弁護人に相当するが、国選もない任意制度であり、選任率は少年事件全体の0.5パーセント程度(1983年時点)に過ぎない[1]。
- ^ 刑事裁判の場合には、起訴状一本主義に基づき裁判所に捜査記録を提出することは禁じられている[17]。しかし少年審判には予断排除の原則がなく、裁判官が予め捜査記録によってクロの心証を得ている場合が多い[17]。そのため、自白事件ではそれ以上の証拠調べが行われる余地は事実上存在しない[17]。在宅事件として保釈させれば審理は継続させられるが、凶悪事件の場合にはほぼ認められない[17]。逆送致して刑事裁判に持ち込む余地もあるが、これも必ずしも少年側に有利とは言えない[17]。
- ^ 直後にAは、無実の訴えはやはり嘘であったとの内容の手紙を母に書いている[23]。しかし小笠原によれば、これは院の職員に暴力を振るわれて無理矢理書かされたものであるという[24]。
- ^ 小学6年生の時に教師の財布がなくなり、Aが窃盗を自白したが、その後財布は落とし物として届けられた[38]。
- ^ 着衣は白地に黄色袖の半袖シャツと紺の吊りスカート[49]。足許は白い靴下とピンクの運動靴[49]。傘は紅白模様でポシェットは水色[49]。
- ^ ただしこの通報者によれば、消防署に悪戯電話を警戒されて状況説明に手間取り、電話を切ったのが8分であるため、実際の通報時刻はそれより3、4分前であるという[54]。
- ^ そもそも、事件直後に柏署に寄せられた目撃証言は、「リーゼントヘアで赤いジャンパーの高校生風の2人組が、Bらしき少女を現場に連れていった」というものであった[3]。
- ^ Aの名は原団体名でも匿名[71]。
- ^ 三井明・藤井英男・的場武治・梶原和夫・津田玄児・古川祐士・小林正彦・古口章・石井小夜子・吉峯康博・須網隆夫・榊原富士子・鷲見皓平、そして若穂井[74]。
- ^ Aが仮退院した後、若穂井は自身の家族旅行にAを連れて行った[88]。その際、若穂井は自身の小学生の子供たちを、付き添いなしでAの部屋に泊まらせることにした[88]。その時、若穂井は一瞬「大丈夫かな」と考えた[88]。しかし、事件のことを知らされているにもかかわらず、子供たちはAと打ち解け、一晩を過ごした[89]。若穂井は以前まで「弁護士として」Aは無実だと考えていたが、この時「人間として」Aの無実を確信したと語っている[89]。
- ^ a b 少年法第46条但書が、同法第27条の2第1項に基づく保護処分取消しを一事不再理効の例外としているのは、同項が成年を少年と誤認したケースを改めて刑事訴追するための「不利益再審」として設けられたことの名残である[102]。不利益再審は憲法第39条の定める「二重の危険の禁止」に抵触するため、その効力を「保護処分の継続中」に限定することで、人権保障との調整を図っていた[102]。しかし、その後同項の運用は利益再審へと転化しているため、人権保障の意味合いを失った同項の法文「保護処分の継続中」は無視すべきとの議論がある[103]。また、この法文はデュー・プロセスや少年法の健全育成理念を鑑みれば「保護処分の継続中であっても」と読み替えるべき確認的規定であり、その他の場合の救済をことごとく排除する趣旨であるとまでは言えない、との主張もある[104]。
- ^ 上掲の要旨2の代わりに、本決定が一審決定に対して述べた「少年法第27条の2第1項ならびに少年審判規則第55条の趣旨に照らせば、保護処分取消申立てに対し裁判所が判断を示すことは、その要否を問わず正当である」との部分を要旨の1つに数える見解もある[111]。
- ^ 古い例として、1949年に窃盗罪で千葉家裁から少年院送致決定を受けた少年が、1950年2月に退院した後、同年9月に真犯人が有罪判決を受けたものがある[116]。この少年は同年12月に汚名の公式取消し・補償などを求める嘆願書をGHQへ提出したが、結果は最高裁が各家裁所長に対し誤判を戒める通達を出すに留まった[116]。1955年6月に発生した熊谷二重犯人事件では、強盗傷人罪などで1人の成年が懲役5年の有罪判決、1人の少年が少年院送致決定を受けた[116]。その後、翌1956年5月に真犯人が有罪判決を受けたため、成年は同年8月に再審無罪判決を受けた[116]。少年は成年の無罪判決直後に仮退院が認められたが、それ以上の救済はされなかった[116]。
- ^ 2007年に執行猶予者保護観察法と統合・新設された更生保護法の第71条および第72条が継承[130]。
- ^ 2014年に刷新された新少年院法の第137条ないし第139条が継承[131]。
- ^
- ^ 家庭裁判所は、同一性のある非行事実全体を審判の対象とする。したがつて、保護処分の基礎となつた非行事実と同一性のある事実が認められる限り、法二七条の二第一項の「審判権がなかつた」とはいえないであろう。一個の非行事実の一部が不存在だと判明しても、審判権の欠如とはいえない。〔中略〕〔一方、〕数個の非行事実中、重大な事実の誤認があり、残余の事実のみであつたならば、不処分あるいは審判不開始としたであろう場合には、保護処分を取り消すことができると解すべきである。軽微な事件について審判権があるのに、保護処分(全部)を取り消すのは、一個の保護処分の不可分性による。 — 肥留間論考より[156]
- ^ この事件の最高裁調査官を務めたのも木谷である[160]。
- ^ 草加事件はその後、少年らが被害者遺族から提起された民事訴訟で「非行事実なし」と認定される、という形で冤罪が認められた[169]。
出典
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