明治政府樹立後とは? わかりやすく解説

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明治政府樹立後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 17:18 UTC 版)

浅野長勲」の記事における「明治政府樹立後」の解説

慶応4年1868年1月17日、茂勲は会計事務総督兼任となった同年2月20日会計事務局兼任となるも5月20日免職となった明治元年1868年)、茂勲は明治新政府恭順の意を示すため、徳川将軍からの偏諱棄てて長勲(ながこと)に改名した明治2年1869年正月24日、長訓の隠居により家督継いだ通称安芸守改めた2月4日参与就任した3月6日従二位中納言任官した。また同日議定就任するが、5月17日免職となる。6月17日版籍奉還知藩事となり、その後藩政改革努めた9月26日正二位昇進する明治4年1871年7月14日廃藩置県免官され、東京へ移った。この時に百姓一揆(武一騒動)が起こっている。これは、長勲治政に不満があったわけではなく武家華族明治3年1870年)の太政官令により東京在住となったが、新体制年貢増、外国人キリスト教布教などの不安から前藩主長訓の東京移住阻止しようとした、という性格一揆であった明治5年1872年)、日本最初洋紙製造工場有恒社大正13年1924年)に王子製紙吸収合併)を設立明治7年1874年稼動する。洋紙生産には成功するが、生産当初国内洋紙需要がなく赤字続きであった。しかし、長勲日本近代化により必ず洋紙需要増えるとし、そのまま経営続けた明治11年1878年)、長勲私財投じて一時閉鎖されていた広島藩修道館再興し広島市流川町の泉邸(現在の縮景園)に浅野学校開校した明治14年1881年)に校名修道学校改め校長には藩校出身海軍兵学校教官であった山田十竹抜擢したその後、この学校修道中学校・修道高等学校として現在まで続き各界多く人材を輩出している。 明治政府の下で長勲は、明治14年1881年)に元老院議官同年外国公使就任の命を受け、翌明治15年1882年)にイタリア公使となり、同年に妻の綱姫を伴って渡欧した長勲横浜港から香港シンガポールなどを経由してイタリアナポリ到着したこの間白人支配受けている香港シンガポールアジア人現地民、という植民地実情を知る。ナポリにて妻と共にイタリア国王ウンベルト1世およびマルゲリータ王妃拝謁明治天皇からの国書届けた帰国時は勲章受けている。その後長勲フランスイギリスなど欧州各国見聞し産業技術力をもって発展する列強各国視察したロシアでは白夜経験している。のち欧州離れアメリカ合衆国経由して帰国したニューヨーク滞在時は電車乗車している。これらの経験により、のちに旧藩内の若者数名イギリスフランス留学させ、また養子長道をもイギリス留学させた。 明治17年1884年)に宮内省華族局長官、明治23年1890年2月貴族院議員就任する長勲その間明治17年1884年)に侯爵となる。また、明治天皇の命により幼少期昭和天皇の養育係を務めた明治19年1886年)、養子としていた実弟長道(妻は加賀金沢藩前田斉泰の娘)が単身留学先イギリスロンドン死去した21歳だった。このためもう一人養子としていた長厚の実弟・長之(ながゆき、1864年 - 1947年)が浅野宗家嫡子となる。 明治20年1887年)、相馬事件渦中にあった相馬家後見人となる。 上記製紙会社以外にも長勲明治22年1889年2月11日大日本帝国憲法発布の日に創刊され新聞日本』に出資する。さらに、華族銀行呼ばれた十五銀行大株主1人でもあり、明治26年1893年)に取締役明治28年1895年)に頭取となった昭和11年1936年)の二・二六事件の際には事件起こした青年将校らの助命願い田中光顕動いたが、叶わなかった。 昭和12年1937年2月1日長勲94歳の長寿をもって死去した養子の長之が長勲の跡を継いだがその10年後に亡くなりその後長武、長愛、長孝続いている。 昭和15年1940年饒津神社祀られた。以来毎年2月1日長勲御例祭を斎行している。

※この「明治政府樹立後」の解説は、「浅野長勲」の解説の一部です。
「明治政府樹立後」を含む「浅野長勲」の記事については、「浅野長勲」の概要を参照ください。

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