明治新政府の布告への影響
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「万国公法」の記事における「明治新政府の布告への影響」の解説
『万国公法』は、また一方で維新政府の国家体制設計に際し、大いに参照されている。 まず明治政府の基本方針として示された五箇条の御誓文に、『万国公法』の影響が認められる。五箇条の一つ「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」、及びその原案「旧来の陋習を破り宇内の通義に従ふへし」に使われていることば「天地ノ公道」・「宇内の通義」は「万国公法」(国際法)の意味だとされる。 また1868年にだされた政体書は、日本の国家体制を規定しようとした、いわば維新政府の青写真・計画書であるが、その構想とは太政官をトップに、議政官(立法)・行政官(行政)・刑法官(司法)を配置するもので、三権分立思想を取り入れている。この政体書第11条を書くに当たって参照されたのが『万国公法』第一巻第二章第二四節及び第二五節で、そこではアメリカ合衆国憲法やスイスの国会権限について部分的に訳され、紹介されている。政体書第11条は、アメリカを例にして連邦政府による連邦内の小政府の権限制約について解説した箇所であるが、これを政体書に取り入れることで中央集権の法理導入の根拠としようとしたものである。というのも当時の江戸幕府倒壊直後の日本は諸藩割拠状態であって、諸藩をどのようにまとめ上げて統一国家とするかという点において、国家スタイルとして連邦制が妥当と考えられた。この時点では連邦型国家の中でも、ドイツ連邦のような分権型国家か、あるいはアメリカのようなより中央集権を強めた国家とするかという二つの選択肢が考えられていた。政体書起草者たちは同じ連邦国家でもより中央集権的なアメリカ型を選択し、その際『万国公法』を参照したのである。結果的にはその後の紆余曲折を経て廃藩置県により連邦国家アメリカ以上の中央集権国家となったが、政体書作成当初はそこまでの展望は開けていなかった。そういう時に『万国公法』は国家体制のプランを練る上で指針とされたのである。 さらに民衆向けに掲げられた五榜の掲示(第4札)にも「万国の公法」という字句が登場し、外交は朝廷が担い、条約を遵守するので、庶民は外国人に不法なことをしないようにと命じている。
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