明治政府時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 23:21 UTC 版)
「池上四郎 (薩摩藩士)」の記事における「明治政府時代」の解説
明治2年(1869年)に鹿児島常備隊がつくられたときは大隊の教佐となり、藩が御警衛兵を派遣したときは第二大隊を率いて上京した。明治4年(1869年)に西郷隆盛・大久保利通が政府改革案を以て上京した際は、木戸孝允・板垣退助・山縣有朋らとの会談に護衛を兼ねて同行した。同年、西郷が廃藩置県に備えて御親兵を率いて上京したときには、一隊を率いて市ヶ谷旧尾張藩邸に駐屯した。このとき陸軍少佐に任官したが、病気を理由に7月に免職した。 明治5年(1872年)、征韓論に関連して西郷隆盛が朝鮮・満洲の軍事偵察をさせたとき、8月8日、外務省十等出仕に任じられ、8月16日、武市正幹・彭城中平とともに満洲に派遣された。この偵察は日本最初の軍事偵察で『西南記伝』に「満洲視察復命書」という抄録が残っている。武市は早くに、彭城は満洲偵察後は帰国したが、池上は清国内部の偵察を続け、西郷下野を知った6年(1873年)12月に帰国した。
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