明治政府の言語施策、「国語」という単語の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:06 UTC 版)
「国語」の記事における「明治政府の言語施策、「国語」という単語の由来」の解説
江戸時代には日本列島内でも藩ごとに言葉がかなり異なり、倒幕し政権を樹立した明治新政府はその状況に困り、言語を統一しないことには日本国の近代化は進まないと考え、苦労して標準の日本語(標準語)を定め、その標準語こそが日本国の共通の言語つまり「国語」(あるいは国家語)だと国民にしっかり意識してもらい、その言語のもとに日本列島に住むさまざまな人々をひとつにまとめようと考えたことや、本当は「日本語」という正式呼称があるが、その言語が国民の共通の言語だという意識を日本の人々に持ってもらうことをまずは第一の重要事項と考えて、「日本語」ではなく「国語」という表現のほうを多用したという事情があった、というくらいのことは誰にでも容易に想像がつく。 ところで「国語」という単語は、明治時代に作られた和製漢語であり、この語の創始者については三宅米吉、物集高見、上田万年など諸説があるが、1885年(明治18年)に三宅米吉が立ち上げた『方言取調仲間』の趣意書に「我が日本の国語」という表記が初めて使用され、定着した。なお、この「国語」という単語は、中華圏・朝鮮半島・ベトナムなどの漢字圏に逆輸入されている。 日本の漢字制限などの国語施策は、文部科学省・文化庁の管轄にある。国語審議会での審議結果を反映する形で、現代仮名遣い、当用漢字/常用漢字などとして実施されてきた。国語審議会は2001年の省庁再編時に解散し、現在は文化審議会国語分科会として、教育漢字などの日本語教育、漢字制限の在り方などを検討している。国立国語研究所は、これに協力する形で各種資料などの作成も行っている。
※この「明治政府の言語施策、「国語」という単語の由来」の解説は、「国語」の解説の一部です。
「明治政府の言語施策、「国語」という単語の由来」を含む「国語」の記事については、「国語」の概要を参照ください。
- 明治政府の言語施策、「国語」という単語の由来のページへのリンク