明治新道とは? わかりやすく解説

明治新道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/10 14:09 UTC 版)

主寝坂峠」の記事における「明治新道」の解説

1878年明治11年)、初代山形県令・三島通庸によって県内の他の難所と共に主寝坂峠改修され雄勝新道として車道が行われた。1880年明治13年)に竣工し、翌1881年明治14年)には明治天皇東北行幸時に通過した。新及位地区明治天皇小憩所碑がある。

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明治新道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 21:38 UTC 版)

仙岩峠」の記事における「明治新道」の解説

1872年明治5年)、雫石村の上辨吉による国見峠改良計画が、秋田岩手両県に請願される。 1875年明治8年)、秋田岩手両県合議の上内務省許可得て国見峠県道改修工事行った岩手側は橋場坂本川べりから通路をつくり、藩政期街道より奥の沢筋に進み山腹から尾根向かい方に出て秋田側は山腹から堀木沢通り切に至った藩政期街道とは異なり山腹や沢筋を通る、馬車による通行可能な緩斜面道路で、同年10月までに完成したとされるが、その後何度改修が行われている。 明治新道は国見峠を通らなくなったため、的方が最高所となった1876年明治9年3月30日付の太政官布告にて、秋田県仙北郡岩手県岩手郡を結ぶことから、双方より字を取って仙岩峠」と命名された。命名者同年当地視察した大久保利通とされる1882年明治15年)、岩手県側の道は県道一等指定された。 1902年明治35年)、秋田県側の改修着手されたが、日露戦争により工事中止された。1907年明治40年)、再開され生保内村西南源太坂まで完成した。 しかし東北本線奥羽本線・横黒線現在の北上線)の開通により物流鉄道主体となると道路交通衰退し交通量激減した道は廃道化して旧国道開通まで「地図上だけの道」となった

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