源太坂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 07:02 UTC 版)
吉原高等学校の西方に「源太坂」という坂があり、梶原源太景季と佐々木四郎高綱が馬比べをした話が伝わっている。 寿永3年(1184年)、宇治川の戦いのために源義経、源範頼が京都へ向う途中、今泉の高台に野営した。景季は出発前、源頼朝に名馬の生食(いけづき)の拝領を願い出たが認められず、代りに磨墨(するすみ)を与えられた。この磨墨も生食に負けず劣らずの名馬であったが、その後に頼朝へ生食の拝領を願い出た高綱は、意外にも生食を譲り受けることができた。ここで野営した際、景季は高綱が生食を持っているのを見て顔色を変え、刺し違えて死のうとまで考えたが、相手の様子がおかしいことに気付いた高綱は景季の質問に、「ご貴殿がお願いしても駄目であったのだからそれがしも生食を頂く望みはないと思い、そっと盗んできた」と答えた。景季は表情をやわらげて大声で笑い、大事には至らなかったという。
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