源太塚とは? わかりやすく解説

源太塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 15:53 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
源太塚
近景(2020年12月20日)。
所在地

神奈川県鎌倉市笛田3丁目29

地図
源太塚
源太塚 (神奈川県)
テンプレートを表示

源太塚(げんたづか)は、神奈川県鎌倉市笛田3丁目29の佛行寺(仏行寺)墓地にある古塚である。実際の出来事か定かでないが、鎌倉時代梶原景季(源太)の片腕が埋まっているという[1]

伝承

仏行寺山門(2020年12月20日)。
鎌倉市鎌倉山1丁目11-5の「しのぶ塚碑」(2020年12月20日)。

梶原景季、通称・源太は、梶原景時嫡男である。正治元年(1199年)10月25日の梶原景時の変で景時が失脚して鎌倉を追放されたとき、正治2年(1200年)1月20日に道中の東海道駿河国清見関静岡市清水区)で現地の武士団に襲われ討たれた。その証として鎌倉に送られた片腕が埋められていると伝えられる。塚は佛行寺の山のもっとも高い場所にある。

また妻の信夫(しのぶ)も自害したと伝えられ、同市鎌倉山1丁目11-5に「しのぶ塚」の碑が建てられた[2][3]

脚注

  1. ^ 『仏行寺 源太塚としのぶ塚』鎌倉手帳(寺社散策)
  2. ^ 『源太塚(げんたづか)としのぶ塚』湘南モノレール(ソラdeブラーン 2017年11月2日)
  3. ^ 『鎌倉:仏行寺の源太塚』鎌倉手帳(寺社散策)

座標: 北緯35度19分32.0秒 東経139度31分12.7秒 / 北緯35.325556度 東経139.520194度 / 35.325556; 139.520194


源太塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 08:10 UTC 版)

梶原景季」の記事における「源太塚」の解説

討たれた景季の片腕鎌倉送られ鎌倉市笛田3丁目29佛行寺仏行寺)の源太塚に埋められているという。

※この「源太塚」の解説は、「梶原景季」の解説の一部です。
「源太塚」を含む「梶原景季」の記事については、「梶原景季」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「源太塚」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「源太塚」の関連用語

源太塚のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



源太塚のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの源太塚 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの梶原景季 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS