明治時代〜1950年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 10:19 UTC 版)
1885年(明治18年)には「脱亜論」に対するコメントは見つかっていない。1885年(明治18年)3月16日以後の『時事新報』には、「脱亜論」に関する引用は発見されていない。また、1885年(明治18年)3月17日から3月27日にかけて、新聞『東京横浜毎日新聞』、『郵便報知新聞』、『朝野新聞』にもコメントが発見されていない。平山は1885年(明治18年)には「脱亜論」は何の反響も引き起こさなかったと推定している。その後も1885年(明治18年)から1933年(昭和8年)まで「脱亜論」に関するコメントは発見されておらず、そのため、平山は「脱亜論」は発表から48年4ヶ月の間、忘れられていたとしている。 1933年(昭和8年)7月、「脱亜論」が石河幹明編『続福澤全集』(岩波書店)に収録された。しかし、それ以降も1933年(昭和8年)から1950年(昭和25年)までの間、「脱亜論」に関するコメントは見つかっていない。
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