日本占領方針とは? わかりやすく解説

日本占領方針

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:53 UTC 版)

ダグラス・マッカーサー」の記事における「日本占領方針」の解説

マッカーサーには大統領ハリー・S・トルーマンから、日本においてはほぼ全権に近い全権与えられていた。連合国最高司令官政治顧問団特別補佐役としてマッカーサー補佐していたウィリアム・ジョセフ・シーボルドは「物凄い権力だった。アメリカ史上、一人の手これほど巨大絶対的な権力握られた例はなかった」と評した9月3日に、連合国軍最高司令官総司令部トルーマン大統領布告を受け、「占領下においても日本主権認める」としたポツダム宣言反故にし、「行政・司法立法三権奪い軍政を敷く」という布告下し、さらに「公用語も英語にする」とした。 これに対して重光葵外相は、マッカーサーに「占領軍による軍政日本主権認めたポツダム宣言逸脱する」、「ドイツ日本は違う。ドイツ政府壊滅した日本には政府存在する」と猛烈に抗議し布告即時取り下げ強く要求したその結果連合国軍側即時トルーマン大統領布告即時取り下げ行い占領政策日本政府通した間接統治となった連合国軍占領下の日本参照)。 降伏調印式から6日経過した9月8日に、マッカーサー幕僚連れてホテルニューグランド出発して東京進駐した。東京へ進駐式典開戦以来4年近く閉鎖されていた駐日アメリカ合衆国大使館開催された。軍楽隊国歌奏でるなか、真珠湾攻撃時にワシントンアメリカ合衆国議会議事堂掲げられていた星条旗をわざわざアメリカ本国から持ち込み大使館ポール掲げるという儀式執り行われた。 その後マッカーサー幕僚帝国ホテル昼食会出席したが、マッカーサー昼食会前に帝国ホテル犬丸徹三社長運転する車で都内案内させている。車が皇居前の第一生命館前に差し掛かると、マッカーサー犬丸に「あれはなんだ?」と聞いた犬丸が「第一生命館です」と答えると、マッカーサーは「そうか」とだけ答えた昼食会終わった13時にマッカーサー幕僚連れて第一生命館再度訪れ入り口から一歩建物内踏み入れると「これはいい」と言って第一生命館自分司令部とすることに決めている。犬丸自分とマッカーサーやり取りが、第一生命館連合国軍最高司令官総司令部となるきっかけになった思い込んでいたが、マッカーサー進駐直後から、連合国軍最高司令官総司令部とする建物探しており、戦災による破壊逃れた第一生命館明治生命館がその候補として選ばれ9月5日から前日まで、両館にはマッカーサー幕僚らが何度も訪れて資料受け取ったり、第一生命保険矢野一郎常務社員から説明を受けるなどの準備をしていた。副官サザーランド実見し最終決定する予定であったが、犬丸案内され興味持ったマッカーサーが自ら足を運び矢野案内内部確認して即決したであったもう一つ候補となった明治生命館へは「もういい」といって見に行くこともしなかったが、結局明治生命館接収されアメリカ極東空軍司令部として使用された。 第一生命館は、皇居を見下ろす地上8階建てのビルであり、天皇の上君臨して日本支配するマッカーサー総司令官地位をよく現わしていた。しかし、マッカーサー執務室として選んだ部屋はさほど広くもなく、位置的に皇居眺めることもできず、階下食堂であり騒がしい音が響いていた。マッカーサー幕僚らの方が広くて眺めもいい快適な部屋使用していたが、マッカーサーがわざわざ部下より質素な執務室としよう考えたのは、強大な権力有しているが、それを脱ぎ捨てれば飾り気のない武骨な軍人であるということ示そうという意図があったためである。しかし、実際にマッカーサー幕僚らにより第一生命には「一番よい部屋を」という要望がなされ、マッカーサー執務室として準備されたのは第一生命社長室で、壁はすべてアメリカ産のくるみの木、床はナラ・カシ・コクタンなどの寄木細工でできたテューダー朝風の非常に凝った造りとなっており、第一生命館最高の部屋であった占領行政について既存体制維持となると避けて通れないのが、天皇制存置昭和天皇の戦争責任問題であるが、早くも終戦1年6か月前の1944年2月18日国務省文書天皇制』で「天皇制対す最終決定には連合国意見一致が必要である」としながらも「日本世論圧倒的に天皇制廃止反対である……強権をもって天皇制廃止し天皇退位させても、占領政策への効果疑わしい」と天皇制維持方向での意見出している。また1945年に入ると、日本の占領政策協議する国務陸・海軍3省調整委員会SWNCC)において「占領目的に役立つ限り天皇利用するのが好ましい」「天皇退位しても明らかな証拠出ない限り戦犯裁判にかけるべきではない」という基本認識の元で協議重ねられ戦争の完全終結平穏な日本統治のためには、天皇威信天皇対す国民親愛の情不可欠との知日派国務長官代理ジョセフ・グルーらの進言もあり、当面天皇制維持して昭和天皇の戦争責任不問とする方針となった。これはマッカーサー同意であったが、ほかの連合国対日強硬派アメリカ多く国民天皇の戦争責任追及求めていたため、連合国全体方針として決定するまでには紆余曲折があった。 国際政治学者細谷雄一慶應義塾大学教授は、全権によって日本人に「対米従属」という認識植え付けられたのではないか、と指摘している。

※この「日本占領方針」の解説は、「ダグラス・マッカーサー」の解説の一部です。
「日本占領方針」を含む「ダグラス・マッカーサー」の記事については、「ダグラス・マッカーサー」の概要を参照ください。

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