日本占領下にあった連合国に対する占領統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:24 UTC 版)
「占領統治」の記事における「日本占領下にあった連合国に対する占領統治」の解説
満州国はソ連・モンゴル連合軍の侵攻の後、ソ連の占領統治下に置かれ、翌1946年に中華民国へ統治権を引き渡したが、関東州を中心とする大連は1950年までソ連の支配下に置かれた。しかし、ソ連の撤退は中国共産党の満州での浸透を確認してからであり、満州を返還された中華民国の統治は都市部周辺にしか及ばず、国共内戦で中国国民党が敗れる遠因となる。また、ソ連は満州での権益は手放すことはなく、返還したのはスターリンの死後であった。 フランス領インドシナは北部が中華民国軍、南部がイギリス軍(英印軍)の占領統治下に置かれ、降伏した現地日本軍への対応を行った。だが、中華民国軍・英印軍が担当した北部の占領統治は、中華民国軍が隣国であったことから順調だったのに対し、英印軍・仏軍が担当した南部は、両国に余力が無かった事から占領が遅れ、現地日本軍を形式上英軍指揮下の同盟軍として治安維持に当たらせ、日本占領時の人員・統治システムをそのまま使い回していた。結果的に日本軍の完全撤退は第一次インドシナ戦争の終了まで伸びる事となる(形式上は日本軍ではない事になっている)。日本軍の降伏完了後は旧宗主国に復したが、独立運動が活発になる。中華民国は撤退の見返りとしてフランスの租借地である広州湾を返還された。 オランダ領東インドはイギリス軍(英印軍)とオーストラリア軍を主力とした連合軍の占領下におかれ、ボルネオ島(サラワク王国、英領北ボルネオを含む)がオーストラリア軍の、それ以外はイギリス・オランダ連合軍(実質イギリス軍)の占領下におかれる事となった。イギリス軍の統治が及んだのは、実質ジャワ島とスマトラ島の都市部のみで、後のスラウェシ島、モルッカ諸島、小スンダ列島などは事実上オーストラリアの占領下に置かれ、旧宗主国のオランダは唯一完全制圧を免れたオランダ領ニューギニアを担当した。日本が降伏後、上記の通り連合国の占領が遅れ、英軍指揮下の同盟軍として事実上日本軍が暴徒鎮圧と治安維持を行っていた。結局、完全占領出来ないまま1946年にイギリス軍が撤退し、1947年に日本軍も完全に撤退し旧宗主国に復したが独立運動が活発になる。
※この「日本占領下にあった連合国に対する占領統治」の解説は、「占領統治」の解説の一部です。
「日本占領下にあった連合国に対する占領統治」を含む「占領統治」の記事については、「占領統治」の概要を参照ください。
- 日本占領下にあった連合国に対する占領統治のページへのリンク