政府の不作為と無関心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 08:54 UTC 版)
1988年(昭和63年)3月26日、参議院予算委員会で、梶山静六国家公安委員長(竹下登内閣)は、日本共産党議員の質問に対して、1978年の富山県アベック拉致未遂事件や一連のアベック失踪事件が「北朝鮮による拉致による疑いが濃厚」「人権侵害、主権侵害の国家犯罪であることが充分濃厚」であり、「警察庁がそういう観点から捜査を行っている」と明解に答えた歴史的な答弁であったが、NHKも民放も一切この答弁をテレビニュースとして報じなかった。新聞メディアでは、サンケイ新聞と日本経済新聞がほんのわずかふれただけで、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞はまったく取り上げなかった。 こうしたこともあって、1991年当時は拉致犯罪が北朝鮮によるものであることは日本ではあまり知られておらず、一般の日本人の多くは北朝鮮犯行説に対し「半信半疑」の状態であった。そうしたなかで、短期留学生である李英和が、北朝鮮が犯行を「自供」したとも受け取れる講義を受けたことは注目される。可能性としては、当時、拉致問題解決を手がかりに日朝国交樹立による「賠償金」狙いの戦略を既に固めていたとも考えられる。李英和自身は「賠償金」獲得の動機を、1991年から本格化する北朝鮮の核開発の資金源と見なしている。そして、その算段が2002年まで大きく遅延したのは、1993年から1999年にかけての北朝鮮大飢饉の影響からではないかとしている。 留学を終えた李英和は日本政府に対し、秘かに「拉致講義」の内容を伝えたが、政府側はほとんど無反応で、真剣に聞くことさえなかったという。金丸訪朝団においても日本側は拉致問題を重視しておらず、会談でも日本側が取り上げた形跡がない。一方、金丸訪朝団の効果は、北朝鮮が主張する「賠償金」問題によって終息する。植民地時代の「賠償金」に対し、戦争もしてない相手に「戦後賠償」を何故おこなうのかということについて国会でのコンセンサスが得られず、1990年の三党共同宣言(「日朝関係に関する日本の自由民主党、日本社会党、朝鮮労働党の共同宣言」)では、「賠償」を「償い」という言葉に置き換えたが、それでも批判の声は絶えなかった。こうして拉致問題は長期間にわたって放置されてしまった。 1997年3月、脱北した北朝鮮の元工作員安明進の証言で、金正日の指示によって北朝鮮が1977年に13歳の少女横田めぐみを拉致していたことが明らかになり、同様の拉致被害者が全国に数多く存在することが判明して、家族たちが実名を公表して救出運動を行なうことを決断し、家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)が結成された。翌年4月には、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(通称「救う会」)も結成された。 2002年9月17日、日本の小泉純一郎首相が平壌を訪問して、金正日とのあいだ日朝首脳会談を行い、日朝平壌宣言が調印された。ここでようやく北朝鮮拉致問題の解決、統治時代の過去の清算、日朝国交正常化交渉の開始などが盛り込まれたのであった。当時の朝鮮半島をめぐる国際情勢は、1994年の米朝枠組み合意以降進展がみられない一方、米中両国が「戦略的同伴者関係」をうたいあげており、アメリカと中国が共同してアジアを仕切っていく構図がみえ始めていたのに対し、日本はアジアでの独自外交の余地をつくろうとして半ばアメリカの頭越しに対北朝鮮外交を展開しようと勝負に出た、李英和は小泉訪朝の背景をそのようにみている。また、中国問題グローバル研究所の遠藤誉は、小泉訪朝によって一部の拉致被害者を日本が取り戻すことができたのは、北朝鮮が新義州市に経済特区を設けて開発計画を進める局面で「中国外し」を図り、中朝対立が生じたことが背景にあると指摘しており、それはちょうど、李英和が言及した日本からの賠償金が欲しかった時期とも符合する。 北朝鮮は「5名生存、7名死亡」を発表し、金正日は拉致事件を「一部の妄動主義、英雄主義者の仕業」であり、「祖国統一事業のために日本語教師が必要だった」として小泉首相に謝罪した。しかし、「死亡」とされた拉致被害者に関しては死亡日とされた日よりも後の目撃証言が多数あり、真犯人や犯行目的は李英和の受けた講義からすれば明らかな嘘である。 李英和は2020年3月に死去している。李英和は生前、拉致問題には「主権侵害」と「人質事件」の両面があり、その両面が切り離せないからこそ長期化しているともいえるが、現在進行中の「人質事件」としてこの問題を考えた場合、何よりも優先されるべきは「人質救出」であると主張していた。そして、相手がどうであれ、また、どんな事情があったとしても、どんな手段を講じてでも先ずは人質を救出するのが政府の責任であり、その点では歴代政権は小泉政権をのぞいて政治責任を免れないとも述べていた。遠藤誉は、平壌留学中に李英和が受けたという、知られざる「拉致講義」が、今後の拉致問題解決と日朝交渉に際して参考にされ、役立てられることを望んでいる。
※この「政府の不作為と無関心」の解説は、「拉致講義」の解説の一部です。
「政府の不作為と無関心」を含む「拉致講義」の記事については、「拉致講義」の概要を参照ください。
- 政府の不作為と無関心のページへのリンク