戦前の演劇場・演芸場・映画館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 09:03 UTC 版)
「豊橋市の映画館」の記事における「戦前の演劇場・演芸場・映画館」の解説
戦前の演劇場・演芸場・映画館一覧開館閉館画像館名所在地備考1900年 1940年 東雲座 呉服町 現在の龍拈寺北側付近。1900年12月に演芸場として開館。株式組織だったが、1920年に山森三九郎の個人経営に移り、1940年に映画館の豊橋東宝映画劇場に転換。 1899年以前 1905年頃 朝日座 上伝馬町 設立年・廃止年ともに不明。上伝馬遊郭の中央に位置していた。1899年11月には女義太夫の三福一座が公演。1901年には豊橋で初めて活動写真の上映を成功させる。廃業後には建物が遊郭内に放置されていたとされるが、1912年には川合銃砲火薬店の手に渡って取り壊された。 1873年-翌年 1899年 朝倉座 手間町→西八町 演劇場。常芝居。1873年から1874年頃に開館。当初は手間町(現・大手町)、1881年6月に西八町に移転。1899年に閉館。 1881年 1883年 宝栄座 手間町 演劇場。常芝居。朝倉座が手間町から西八町に移転したことで、手間町の旧小屋を使用して宝栄座が開館。1882年4月には朝倉座とともに華々しい合併興行が行われたが、その後興行が行われることはなく、1883年には取り壊されている。1900年にはこの土地を三遠銀行が新築予定地として買収。1933年にはこの場所から三遠銀行が移転し、跡地には有楽館が建設された。 1893年 1921年 弥生座 上伝馬町 演劇場。1893年11月開館。1921年に映画館に転換して帝国館に。 1899年 1945年 豊橋劇場 花田町字石塚 演劇場。1899年3月1日開館。1936年に松竹系の映画館となった。豊橋米穀取引所の隣にあった。1945年6月の豊橋空襲で焼失した。 1901年 豊橋座 演劇場として1901年に開館。名古屋市幅下の西栄座を購入して移築したとされる。建坪260余坪。 1902年 1933年 河原座 萱町→上伝馬町 河原一郎が経営する演芸場として1902年8月に開館。開館公演は初代三遊亭円遊であり、同日には奇術師が西洋手品を演じた。1904年11月には落語の昔々亭桃太郎、浪花節の芳川虎丸が来館している。万歳の鈴木源一郎一座、落語の音曲大一座も来館している。1917年に上伝馬町に移転。 1904年 1906年 東栄座 西新町 1904年に開館したが、1906年には業績不振で閉鎖された。建物は2,000円で豊川の豊川座に売却された。 1911年 1945年 寿座 清水町 1911年10月17日、松山町の牧野米作によって演芸場として開館。建坪は40坪、定員は582人。外観はロマネスク建築風であり、新停車場通りの名物となった。規模が小さかったため三流の芸能人が来館することが多く、客入りが芳しくなかった。このため、1912年7月27日には突如として映画館に転換。同年10月6日には寿館に改称した。1924年には蝶春座に改称。隣接して豊橋丸物と村田屋旅館があった。1945年に建物疎開の関係で廃業。 1912年 不明 豊明館 神明町 1912年6月に神明町に豊明館として開館。豊橋最初の活動写真常設館である。1929年に神明町内で移転し、松竹館に改称して松竹映画を上映。 1919年 不明 有楽館 札木町 1919年に有楽館として開館。1924年に大盛館に改称してマキノプロ映画を上映。1933年に館名を再び有楽館に戻す。1939年-1940年頃に豊橋新興映画劇場に改称して新興キネマ映画を上映。1927年竣工の中京相互銀行豊橋支店の裏手にあった。 1921年 1945年6月 錦正館 松葉町 1921年6月に錦正館として開館。1926年に錦館(ニシキ館)に改称。1937年に大衆劇場に改称し、洋画専門館として帝国キネマ映画を上映。広小路通りの萱町電停そば、後年のスカラ座近くにあった。モダンな建物。1945年6月の豊橋空襲で焼失。 1921年 1945年6月 帝国館 上伝馬町 前身は1893年に上伝馬町に設立された弥生座。1921年に帝国館が開館。1945年6月の豊橋空襲で焼失したが、同年10月末には焼け跡に第一映画劇場が開館している。 1921年 昭和初期 新盛館 西新町 1921年2月18日に新盛館として開館。開館式には愛知県庁職員、愛知県議会議員、豊橋市議会正副議長、学校長などが出席している。後にオペラ館に改称。昭和初期に閉館。 1930年 1945年6月 キネマパワー 松葉町 1929年12月31日(1930年とする場合も)に教育映画館として開館した。豊橋6館目の映画館として大盛館の館主が設立。開館公演はジョン・フォード監督の『四人の息子』全11巻。ヨーロッパ映画を上映。1945年6月の豊橋空襲で焼失。現在の洋菓子店マッターホーン本店の場所。 1932年 1945年6月 花田館 花田町字稲葉 羽田八幡宮西側の一角(三井製糸場跡)に建設された、西部唯一の映画館。1932年12月22日に開館し、15時から16時の間には餅投げが行われた。開館当日には大河内伝次郎主演の『旅姿上州訛』、片岡千恵蔵主演の『一心太助』、沢田清主演の『江戸美少年録』が上映されている。大都映画の二番館であり、低価格でチャンバラ映画を専門に上映。1938年には花田劇場に改称し、松竹・東宝作品の二番館となった。1945年6月の豊橋空襲で焼失。 昭和時代 不明 二川座
※この「戦前の演劇場・演芸場・映画館」の解説は、「豊橋市の映画館」の解説の一部です。
「戦前の演劇場・演芸場・映画館」を含む「豊橋市の映画館」の記事については、「豊橋市の映画館」の概要を参照ください。
- 戦前の演劇場・演芸場・映画館のページへのリンク