豊橋劇場(1899-1945)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/17 14:26 UTC 版)
「豊橋松竹映画劇場」の記事における「豊橋劇場(1899-1945)」の解説
近世の吉田(今日の豊橋)は吉田城の城下町や東海道の宿場町として栄え、1889年(明治22年)には町制を施行して豊橋町となった。1899年(明治32年)3月1日、豊橋劇場が開館した。明治時代の豊橋には豊橋劇場のほかに、東雲座、朝倉座、宝栄座、弥生座などの演劇場があった。 大正時代には映画の人気が高まるにつれて、劇場の映画館への転業や廃業が進んだ。豊橋劇場は豊橋に最後まで残った劇場だったが、太平洋戦争中の1945年(昭和20年)6月19日深夜から20日未明の豊橋空襲で焼失した。この空襲では豊橋劇場のほかに、帝国館、錦館、キネマパワー、花田館、豊橋東宝映画劇場も焼失しており、一時的に豊橋から映画館が消えている。
※この「豊橋劇場(1899-1945)」の解説は、「豊橋松竹映画劇場」の解説の一部です。
「豊橋劇場(1899-1945)」を含む「豊橋松竹映画劇場」の記事については、「豊橋松竹映画劇場」の概要を参照ください。
- 豊橋劇場のページへのリンク