朝倉座とは? わかりやすく解説

朝倉座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/19 17:36 UTC 版)

朝倉座 (豊橋市)」の記事における「朝倉座」の解説

江戸時代吉田城下で行われていた吉田常芝居前身とし、1873年明治6年)から1874年明治7年)頃の豊橋に朝倉座が開館した1872年明治5年11月には中村宗十郎が、1877年明治10年1月には実川延若初代中村福助四代嵐橘三郎が、1882年明治15年4月には五代尾上菊五郎四代中村芝翫四代中村福助来演している。 当初豊橋町手間町(現・大手町)の西光寺の西隣にあったが、1881年明治14年6月には西八町悟真寺向かい移転西八町時代建物は、間口は十間(約18.2m)、約1,000収容という大劇場だった。手間町の旧小屋は宝栄座という名称で芝居続けている。1894年明治27年4月には市川権十郎による「清水誠忠録」「政談恋畦倉」などが大入りとなった新愛知新聞は「午前二時頃より観客ドンドン推し掛け開場時間午前五時頃には満場観客頗る付の大賑わいにて(略)」と報じている。1898年明治31年)には五代尾上菊五郎の「裏表晴着伊達織」「菅原伝授手習鑑」「弁天娘女男白波」が好評だった。経営方針不備によって興行が行詰まり、朝倉座は1899年明治32年)に閉館した

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