羽田八幡宮とは? わかりやすく解説

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羽田八幡宮

読み方:ハダハチマングウ(hadahachimanguu)

教団 神社本庁

所在 愛知県豊橋市

祭神 品陀和気命

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

羽田八幡宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/03 13:23 UTC 版)

羽田八幡宮

拝殿
所在地 愛知県豊橋市花田町斎藤54
位置 北緯34度45分56.597秒 東経137度22分34.595秒 / 北緯34.76572139度 東経137.37627639度 / 34.76572139; 137.37627639座標: 北緯34度45分56.597秒 東経137度22分34.595秒 / 北緯34.76572139度 東経137.37627639度 / 34.76572139; 137.37627639
主祭神 応神天皇神功皇后
社格 郷社
創建 (伝)文武天皇2年(698年
本殿の様式 神明造
例祭 10月の第一日曜日
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羽田八幡宮(はだはちまんぐう)は、愛知県豊橋市にある神社八幡宮)である。社格は旧郷社。嘉永元年(1848年)には羽田八幡宮文庫が開設された。

祭神

歴史

社伝によれば、文武天皇2年(698年)に地域住民により創建されたと伝わる。その後、正応2年(1289年)に神社自体を移転し、正徳2年(1712年)に現在地に社殿を移転したといわれている。

なお、天正の頃に織田信長が出兵の際、太鼓を寄付したとされる太鼓が現存している。また徳川幕府第1代征夷大将軍徳川家康も参拝したと伝わる。現存する社殿は昭和8年(1933年)に建築された物である。

幕末から明治初期にかけての神職・羽田野敬雄は国学者として知られ、嘉永元年(1848年)に文庫として羽田八幡宮文庫を開設した。

文化財

  • 国の登録有形文化財
    • 羽田八幡宮社務所離れ(旧羽田野家住宅主屋)[1]
    • 羽田八幡宮蔵(旧羽田八幡宮文庫)[1]
    • 羽田八幡宮門(旧羽田八幡宮文庫正門)[1]
  • 愛知県指定有形文化財
    • 羽田八幡宮文庫旧蔵資料
八幡宮所蔵の掛軸・書函・書簡や、豊橋市中央図書館所蔵の旧蔵書など9,200点が一括指定されている[2][3]

現地情報

所在地
アクセス

脚注

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