書籍の収集とは? わかりやすく解説

書籍の収集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 02:32 UTC 版)

羽田八幡宮文庫」の記事における「書籍の収集」の解説

羽田八幡宮文庫では、世話人持ち寄った書籍だけでは不十分と考え有志からの寄付奉納)を勧めるチラシ作成している。吉田藩主の松平信古このような動き呼応し嘉永5年1852年)には『四書大全』や『皇朝史略』など書籍37巻寄付したほか、文庫永続料として毎年10俵を贈ることとした。 安政5年1859年)、水戸藩伊勢神宮熱田神宮文庫対し大日本史』を寄付しているという話を聞きつけた羽田野は、師の平田銕胤(篤胤の養子気吹舎主人)を通じて自分文庫にも寄贈願ったかなわず代わりに中国天主教批判書徳川斉昭序文付して水戸翻刻された『破邪集8巻奉納された。 『大日本史』全343100冊は、文庫設立発起人1人佐野蓬宇(1809-1895、本名は深寧(ふかやす)、宇(ほうう)は俳号)が7両2分を出し、銕胤の取次購入し奉納している。佐野蓬宇吉田本町万屋という饅頭屋を営み福谷水竹より22歳若い鶴田門の俳人で、幕末期当地俳壇中心的人物であった数人いる文庫運営幹事うちのひとりでもあったが、文久元年1861年)までに1,000巻を寄付した同文最大寄進であった佐野は、自分購入したのみならず俳人としての広い人脈通じて各地から寄付取り次いでいる。 佐野次いで多く奉納したのは羽田自身であり、安政元年1854年)までに600部を寄進している。羽田野の場合は、刊本のみならず各種の記録など自筆写本多数納めている。羽田野が関西旅行した嘉永6年1853年)には、大坂道頓堀書店秋田屋で『二十一史306冊、『十三経注疏200巻、各国国絵図などを購入して別便で送らせており、翌年には従来の自らの蔵書とあわせ寄贈した。なお、羽田野が秋田屋で書籍購入した際に『和漢三才図会81冊、『五経集注57巻を同時注文しており、これは吉田船町町人斎藤九郎兵衛からの寄進となっている。 その他、国学者鈴木重胤松浦武四郎の『後方羊蹄日記』などを寄進し、のちに赤報隊加わった三浦秀波(佐藤清臣)が『楠木正成御旗写』を、伊東玄朴門人羽田女婿武田準平川本幸民の『気海観瀾広義』を、吉田町人出身でのちに咸臨丸乗船する福谷啓吉が『新訂牛痘寄法』(英国人ドルモンド:輯、清国鄭崇:刻、広瀬元恭:翻刻)をそれぞれ寄付するなど、その寄贈者は多様寄贈本も多岐にわたった文庫蔵書は、安政2年1855年)春「1,000部、5,100余巻」となったので、この年8月25日歌会開かれている。文久元年1861年6月虫干しの際には「部数1,686部、巻数7,867巻」、翌文久2年7月には「1,751部、8,123巻」を数えたその後蔵書順調に増えつづけ、慶応3年1867年)には10,000巻を超えた明治9年1876年)には、蔵書は「皇典1,978部・6,979巻、漢籍400部・3,009巻、梵洋133369巻、通計2,515部・10,357巻」となっている。 蔵書分野は、神道国学に関するものが多いが、それ以外でも農学医学天文学語学異国情報など多岐にわたっている。蘭学入門書として知られる蘭学階梯』や『解体新書』『機巧図彙』などの科学書もあり、種痘関係はじめ翻訳洋書種々みられる

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