帝京大学によるマスコミ幹部OB大量採用と株式所有
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「帝京大学医学部裏口入学事件」の記事における「帝京大学によるマスコミ幹部OB大量採用と株式所有」の解説
帝京大への立ち入り調査で、「寄付金」を冲永 総長が知らなかったことを文科省は認める形になり、この調査の不十分さは国会からもマスコミからも一時的にせよ批判された。しかしその後も第三者による帝京大学への立ち入った調査は行われず、これほどまでに世間に注目された事件の真相が解明されないまま、2002年11月に総長の実弟1人だけが脱税容疑で逮捕されることで調査は幕引きとなった。資金の大まかな流れは明らかになったものの、意図的に資金の道筋がわかりにくくされていたため、全容の詳細解明にまでは至らず、追及できなかった資金の動きも少なからずあった。 このようにあっさりとした幕引きの後、世間の関心が急速に失われた背景に、帝京からは多くの政治家への献金が明らかになった。それに加えて騒がれたのが、帝京によるマスコミの封じ込め策である。これは帝京大学グループによるマスコミ株の巨額所有とマスコミ幹部OBの大量採用である。 2002年時点で日テレの一般株主としては「6位に帝京大学(3.5%)の名がある」。10位以内で関連会社と金融機関以外でランクインしているのは帝京大学のみで、日テレの「保有株式は約89万株、資産価値は250億円にのぼっている」。日テレの「CS放送子会社『シーエス日本』の株を約10%、帝京大学が保有し(日テレ、読売新聞に次いで帝京が第3位)」、「カネを出すだけでなく、冲永総長は非常勤取締役まで務めて」いた。「大阪キー局の朝日放送では、朝日新聞社、朝日新聞信用組合、朝日新聞社主の村山美智子氏に次いで第4位の株主」「保有株式は13万株(3.6%)、時価にして約8億円」とされた。 官僚幹部OBの採用についても「帝京グループに少なくとも5人の旧文部省幹部が理事として天下っており、さらに旧労働省や大蔵省からも複数の天下りが行われていた」、文部科学省が斡旋して「名古屋大学事務局長、山梨医科大学事務局長、横浜国立大学事務局長、鹿児島大学事務局長、千葉大学事務局長、山形大学事務局長」が帝京に再就職したというように、各省庁の幹部の天下り席を帝京は用意していた。入学前寄附金の受け皿の一つとして使われていた「公益財団法人労働問題リサーチセンター」は労働省関係幹部の天下り先でもあった。これら文科省と帝京との間にあったつながりは、帝京大への立ち入り調査の甘さが「談合だったのか、天下り先の顔色を気にしたのかとまで批判された」と書かれる要因でもあった。 さらにマスコミOBの受け入れとして、「グループ大学には朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞などマスコミOBを多数、教授などとして採用している」とされた。実際に代々の朝日新聞OBには、帝京大学の「防波堤」役割をなす「マスコミ対応の広報委員長」の「指定席」があったという。実際、朝日新聞では「政治部長や取締役を務めた大幹部」、「広報室長や経済部長を務めた」幹部、「社会部記者として数々のスクープを残し、若い頃から署名記事も書く業界のスター」たちがそれぞれ代々の帝京大学の「広報委員長」として天下っていたという。「読売新聞からは、ニューヨーク特派員などを務めた外報部のエース記者が帝京平成大学情報学部教授に転身」、「毎日新聞からは、同じ帝京平成大学情報学部に『サンデー毎日』元編集長が教授として迎えられ」、「産経新聞からは、社会部長や編集局長を歴任した幹部が帝京大学本部で教授を務め」、「元論説委員が短期大学で教授」、「日本経済新聞からは、元論説委員が帝京平成大学情報学部教授」、「テレビ東京と大手広告代理店の電通から、それぞれ帝京平成大学の教授」が赴任したという。 このようにマスコミ幹部OBを多く採用する一方で、帝京大学は批判的記事に対しては、現在ではスラップ訴訟とも言われる厳しい法的処置をとった。たとえばジャーナリストの広田研二氏が執筆したサンデー毎日の記事「帝京大学理工学部『単位乱発』問題発覚」について、帝京大学は2002年5月、事実に反し名誉毀損にあたるとして2200万円の損害賠償を求める民事裁判を提訴した。この訴訟は、版元の毎日新聞社などではなく、広田氏個人を被告とした点が特徴的であった。 広田氏によれば、「98年以降、私は同大学グループへの取材を続け、本誌(サンデー毎日)その他に寄稿してきた。言うまでもなく、同大学に個人的な恨みなど一切ない。ただ、取材によって分かってきた同大学の常識と世間の常識との落差を公表してきただけの話だ」、「帝京大は、発行元の毎日新聞社を不問に付し、執筆者の私だけを被告とした。要するに、兵糧攻めという効果的な作戦を展開してきたのだった」、「ずるいのは、通知書を『サンデー毎日』と広田に出しておいて、提訴するときには広田だけだったのです」ということだった。 結果は一審、二審とも記事の真実性を認め、帝京大学は上告までしたが最高裁は棄却、2005年8月に広田氏の勝訴判決が確定した。約3年4カ月にわたる裁判であった。
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