小津と戦争とは? わかりやすく解説

小津と戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:34 UTC 版)

小津安二郎」の記事における「小津と戦争」の解説

1937年7月日中戦争開始し8月親友山中応召されたが、小津も『父ありき脱稿直後9月10日召集され近衛歩兵第2連隊歩兵伍長として入隊した小津毒ガス兵器を扱う上海派遣軍司令部直轄野戦瓦斯第2中隊配属され9月27日上海上陸した小津第三小隊班長となって各地転戦し南京陥落後の12月20日安徽省滁県入城した1938年1月12日上海へ戦友遺骨届けるための出張帰路南京郊外の句容にいた山中訪ね30分程の短い再会の時過ごした4月徐州会戦参加し6月には軍曹昇進し9月まで南京駐留した同月山中戦病死し、訃報知った小津数日間無言になったという。その後漢口作戦参加し1939年3月には南昌作戦加わり修水渡河作戦毒ガス使用した続いて南昌進撃のため厳し行軍をするが、小津は「山中供養だ」と思って歩いた。やがて南昌陥落作戦中止し6月26日には九江帰還命令下り7月13日日本に帰国7月16日召集解除となった1939年12月小津帰還第1作として『彼氏南京へ行く』(後に『お茶漬の味』と改題)の脚本執筆し、翌1940年撮影準備始めたが、内務省事前検閲全面改訂申し渡され出征前夜夫婦お茶漬け食べシーンが「赤飯食べるべきところなのに不真面目」と非難された。結局製作は中止となり、次に戸田家の兄妹』(1941年)を製作したこれまで小津作品ヒットしないと言われてきたが、この作品興行的に大成功収めた次に応召直前脚本完成させていた『父ありき』(1942年)を撮影し小津作品常連俳優である笠智衆初め主演務めた。この撮影中に太平洋戦争開戦し1942年陸軍報道部は「大東亜映画」を企画して大手3社に戦記映画を作らせた。松竹ビルマ作戦を描くことになり、小津監督抜擢された。タイトルは『ビルマ作戦 遥かな父母の国』で脚本もほぼ完成していたが、軍官求める勇ましい映画はないた難色示され製作中止となった1943年6月小津は軍報道部映画班員として南方派遣され、主にシンガポール滞在した同行者には監督秋山耕作脚本家斎藤良輔がおり、遅れてカメラマン厚田雄春合流した小津たちはインド独立テーマとした国策映画デリーへ、デリーへ』を撮ることになり、ペナンスバス・チャンドラ・ボース会見したり、ジャワロケ行ったりしたが、戦況悪化したため撮影中止となった小津厚田後発スタッフが来ないよう電報打たせたが、電報配達遅れたため、後発スタッフ行き違い日本出発してしまい、小津は「戦況よくない洋上で船がやられたどうするんだ」と激怒した後発スタッフは何とか無事にシンガポール到着し撮影続行されたが、やがて小津スタッフ全員非常召集がかかり、現地の軍に入営することになった仕事なくなった小津テニス読書をして穏やかに過ごし、夜は報道部検閲試写室で「映写機検査」と称して接収した大量アメリカ映画鑑賞した。その中には『風と共に去りぬ』嵐が丘』(1939年)、『怒りの葡萄『ファンタジア』レベッカ』(1940年)、『市民ケーン』1941年)などが含まれており、『ファンタジア』見た時は「こいつはいけない。相手がわるい。大変な相手とけんかした」と思ったという。 1945年8月15日シンガポール敗戦迎えると、『デリーと、デリーへ』のフィルム脚本焼却処分し、映画班員とともにイギリス軍監視下にあるジュロン民間人収容所入り、しばらく抑留生活送った小津南方派遣されてからも松竹から給与受け取っていたため、軍属ではなく民間人として扱われ、軍の収容所入り免れていた。抑留中ゴムでの労働従事し収容所内での日本人向け新聞自由通信」の編集もしていた。暇をみてはスタッフ連句詠んでいたが、小津は後に「連句構成映画モンタージュ共通するものがあり、とても勉強になった」と回想している。同年12月第一次引き揚げ船帰国できることになり、スタッフ人数定員上回っていたため、クジ引き帰還者決めることにした。小津クジ当たったが、「俺は後でいいよ」と妻子のあるスタッフ譲り映画班の責任者として他のスタッフ帰還が終わるまで残留した。翌1946年2月小津帰還し12日広島県大竹上陸した

※この「小津と戦争」の解説は、「小津安二郎」の解説の一部です。
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