小津安二郎による原案と映画化までとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 小津安二郎による原案と映画化までの意味・解説 

小津安二郎による原案と映画化まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 05:47 UTC 版)

大根と人参」の記事における「小津安二郎による原案と映画化まで」の解説

1963年昭和38年3月NHKドラマ青春放課後』の仕事終えた小津安二郎は、野田高梧と共に蓼科山荘次回作のプロット練り始めた。『大根と人参』と名付けられたこのプロットは、芥川龍之介短編小説山鴨」をモチーフに、年老いた旧友同士諍いを軸にすることにした。 2人いつものように登場人物俳優あてはめながらプロットつくっていった。まず主人公笠智衆、その妻に三宅邦子息子吉田輝雄主人公喧嘩相手佐分利信、その妻に田中絹代、娘が岩下志麻2人の息子と娘の間では縁談進められている。2人いがみ合うが、妻たちや家族たち構わず縁談をすすめ、結婚式にまで至るというような筋であったそこまで考えたところで小津入院したため、プロット作り頓挫した野田によれば小津入院中もしばしばアイデア披露していたという。野田は「松竹から誰か監督任せて映画化の話があったが、未完成でもあるし、このまま小津亡骸とともに墓におさめることが故人対す唯一の慰め思い断った」と語っている。しかし、この作品は「小津安二郎記念映画」として、渋谷実監督によって映画化されることになり、渋谷白坂依志夫小津野田原案をもとに脚本書き小津ゆかりのキャストそろえて製作された。ただ、笠智衆小津映画見せないひょうきんな演技見せたり全体として軽妙なコメディタッチ渋谷カラー強く出た作品となっている。

※この「小津安二郎による原案と映画化まで」の解説は、「大根と人参」の解説の一部です。
「小津安二郎による原案と映画化まで」を含む「大根と人参」の記事については、「大根と人参」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「小津安二郎による原案と映画化まで」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小津安二郎による原案と映画化まで」の関連用語

小津安二郎による原案と映画化までのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小津安二郎による原案と映画化までのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大根と人参 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS