小津安二郎による原案と映画化まで
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「大根と人参」の記事における「小津安二郎による原案と映画化まで」の解説
1963年(昭和38年)3月、NHKドラマ『青春放課後』の仕事を終えた小津安二郎は、野田高梧と共に蓼科の山荘で次回作のプロットを練り始めた。『大根と人参』と名付けられたこのプロットは、芥川龍之介の短編小説「山鴨」をモチーフに、年老いた旧友同士の諍いを軸にすることにした。 2人はいつものように、登場人物に俳優をあてはめながらプロットをつくっていった。まず主人公は笠智衆、その妻に三宅邦子、息子に吉田輝雄。主人公の喧嘩相手に佐分利信、その妻に田中絹代、娘が岩下志麻。2人の息子と娘の間では縁談が進められている。2人はいがみ合うが、妻たちや家族たちは構わずに縁談をすすめ、結婚式にまで至るというような筋であった。 そこまで考えたところで小津が入院したため、プロット作りは頓挫した。野田によれば小津は入院中もしばしばアイデアを披露していたという。野田は「松竹から誰かに監督を任せて映画化の話があったが、未完成でもあるし、このまま小津の亡骸とともに墓におさめることが故人に対する唯一の慰めと思い、断った」と語っている。しかし、この作品は「小津安二郎記念映画」として、渋谷実の監督によって映画化されることになり、渋谷と白坂依志夫が小津と野田の原案をもとに脚本を書き、小津ゆかりのキャストをそろえて製作された。ただ、笠智衆が小津映画で見せないひょうきんな演技を見せたり、全体として軽妙なコメディタッチで渋谷のカラーが強く出た作品となっている。
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