対ソ・対中政策とは? わかりやすく解説

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対ソ・対中政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:30 UTC 版)

ハリー・S・トルーマン」の記事における「対ソ・対中政策」の解説

日本の領土を少しでも多く略奪することを画策していたスターリン南樺太千島列島加えて北海道北部留萌市から釧路市を結ぶ線から北東側全域留萌市釧路市については分割せずソ連占領する。)をも併合しようとする案をトルーマン申し入れていたものの、トルーマンはこの提案拒否した第二次世界大戦後スターリン率いソ連東ヨーロッパ中心に勢力拡大しているということ気付いたトルーマンは、ソ連に対して強硬路線を取ることを明確にした。また、ウッドロウ・ウィルソンルーズベルト大統領の意を継いで国際連合設立強く支援し、前ファーストレディエレノア・ルーズベルトを含む代表団最初国際連合総会派遣した彼の外交知識を疑う者もいたが、マーシャル・プラン対する広い支援の獲得と、トルーマン・ドクトリンによってNATO設立してヨーロッパにおけるソ連軍事力牽制し外交面での成果上げたトルーマン基本方針東西冷戦開始に伴う共産主義封じ込め政策だったが、ソ連と同じ共産圏ながらスターリン対立していたユーゴスラビアヨシップ・ブロズ・チトー政権には軍事援助経済支援行ったまた、国家安全保障法制定によって国家安全保障会議NSC)・中央情報局CIA)・国防総省創設し冷戦時代における対外政策決定必要な各省情報収集活動統合したアメリカ蔣介石政権崩壊中国共産党拡大防止対策行いトルーマン政権アジア政策対中政策を最も重要視し双十協定仲介するなど国共内戦調停成立させることによって中国の「大国化」を達成しようとした。したがってトルーマン政権対中政策は、「ローズヴェルト戦後構想」を基調とするものとして始まったと言える12月15日対中戦後政策に関する包括的な公式声明発したその内容以下の通りである。 中国共産党含めた国民党主導下の統一政府樹立共産党軍国民党軍への編入安定政権基礎づくりのため、土地改革初めとする社会改革への着手諸点要求する。 以上が実行されない場合アメリカ対中援助拒否権使用すること。 同声明は以上の4つから成り立っていた。しかしルーズベルト大きな支持与え、自らの利権もあり親密な関係を保っていた中華民国蔣介石との折り合い悪く蔣介石は後に国共内戦始めてしまう。トルーマン8月10日蔣介石にその行動非難するメッセージ送り国内問題早急な平和的解決へ努力要請し再度中国国民党中国共産党政治的和解こそが中国再建という大事業可能にさせるのであり、「中国全土広がる内戦危機脅威速やかに除去することができるならば、アメリカ中国工業および農業改革復興援助する計画実行に移すことになろう」と警告発したが、それも何ら効力発揮すると無く国民党軍事攻勢続けられた。 さらに12月18日に「対中政策」を発表しアメリカ中国内戦巻き込まれることを避けつつ、中国国民中国に平和と経済復興もたらすのを援助するだけであるとして、国民党共産党和平仲介させていたジョージ・マーシャル将軍召喚中国内戦関わる一切行為からのアメリカ撤退表明したのであり、アチソンによれば中国内戦再開されたならば国民政府とは関係を維持しつつ、合衆国兵力中国から撤収し物質的援助停止することを考慮する」とし、「もしソ連中国共産党支持することになった場合には合衆国政策大幅に再検討することが必要になろう」というものであった1947年に入るとマーシャル・ミッションの失敗によって、中国の「大国化」が事実上失敗したことが明らかになりつつあった。 アメリカ失敗の原因として蔣介石率い国民党政権無能腐敗指摘し中国問題に距離を置き、後に蔣介石率い国民党へ支援事実上断ち切ったその代わり国務省中国代わりとなる国を探し始めアジア経済発展における日本重要性強調されるうになるその結果ソ連支持受けていた毛沢東率い共産党国共内戦勝利し1949年10月1日中華人民共和国設立され蔣介石台湾遷都することとなったトルーマン政権蔣介石率い国民党政権無能ぶりを厳しく批判しており、CIA見通しではアメリカの介入無ければ1950年中に台湾共産党の手落ちであろう予測していた。1950年1月5日には台湾不干渉声明発表していたが(後にアチソン・ラインとして定義される)、この頃になると、トルーマン政権無策中国共産圏追いやったとの批判中国の喪失論)が共和党中心に各方面から噴出しこのままむざむざ台湾共産党側に渡すことに反対する意見高まってきており、蔣介石アメリカ態度好転期待繋いでいた。朝鮮戦争開戦から2日後同年6月27日台湾海峡中立化名目第7艦隊派遣した

※この「対ソ・対中政策」の解説は、「ハリー・S・トルーマン」の解説の一部です。
「対ソ・対中政策」を含む「ハリー・S・トルーマン」の記事については、「ハリー・S・トルーマン」の概要を参照ください。

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