対スペイン主戦派として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 06:55 UTC 版)
「ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯)」の記事における「対スペイン主戦派として」の解説
1597年、アゾレス諸島を利用するスペインの宝物船襲撃の遠征艦隊にも志願し総司令官に就任、副官ノッティンガム伯とウォルター・ローリーを加えた艦隊を率いて7月10日に出航した。ところが嵐に襲われ2度出航を断念、3度目に出航した時には、アゾレス諸島に宝物船は見つからず、目的を見失ったエセックス伯の艦隊はアゾレス諸島をうろつくだけで、隙を見たスペイン宝物船に逃げられるという失態を演じた。 スペインとの戦争が長引く中、エリザベスの宮廷の廷臣たちの意見は二つに分かれた。セシル親子をはじめとする和平派とエセックス伯をはじめとする主戦派である(エセックス伯は戦争が終わってしまうと自分の国民人気が薄くなり、セシル親子の権力が増大すると恐れていた)。 フランスは1598年5月にもスペインと講和して、イングランド・ネーデルラントとの同盟から離れた。セシルら和平派はこれを機にイングランドもスペインと講和に入るべきと主張したが、エセックス伯ら主戦派はこれまでネーデルラントに投資してきた金が全て無駄になると主張して徹底抗戦を唱え続けた。この論争は最終的にはネーデルラント外交官たちの巧みさもあって主戦派が勝利している。
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