対ジャコバンの先鋒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 14:27 UTC 版)
「シャルル・バルバルー」の記事における「対ジャコバンの先鋒」の解説
彼は、初審議の日から自分自身をジャコバン派とは敵対する立場にあると考えており、ジロンド派議員との関わりをより深いものとした。そのため、独裁をもくろんでいるとしてロベスピエールを非難したり、かつての師であるマラーの裁判でも彼を積極的に攻撃している。またジャコバン派の支持基盤であるパリの蜂起コミューンを解体させようとするなど、バルバルーはやがて対ジャコバン闘争の先鋒としてその名を知られるようになる。 冬には、ダントンによるジロンド派と和解交渉を、ビュゾーと共に断固拒否している。また、穀物の最高価格法に反対し、ジャコバン派との対立はますます深まった。しかし1793年1月、国王ルイ16世の裁判において、バルバルーは国王死刑の執行猶予と、処刑の有無を国民投票にかける案に投票。反国王派だったこれまでの言動と一致しない態度が非難され、支持を失った。
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