対ソ連占守島・樺太防衛戦と戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 05:57 UTC 版)
「樋口季一郎」の記事における「対ソ連占守島・樺太防衛戦と戦後」の解説
日本の降伏直前の1945年8月10日、ソ連対日参戦が発生。北方軍を指揮していた樋口は停戦後の8月18日以降、占守島、南樺太におけるソ連侵攻軍への抗戦を指揮し、これを成功させた。 そのため極東国際軍事裁判に際し、スターリンは当時軍人として札幌に在住していた樋口を「戦犯」に指名した。しかし世界ユダヤ人会議はいち早くこの動きを察知して、世界中のユダヤ人コミュニティーを動かし、在欧米のユダヤ人金融家によるロビー活動も始まった。世界的な規模で樋口救済運動が展開された結果、日本占領統治を主導していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のダグラス・マッカーサーはソ連からの引き渡し要求を拒否、樋口の身柄を保護した。
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