対タバル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 14:53 UTC 版)
前836年、シャルマネセル3世はタバル(英語版)(ティバレニ、Tibareni)に遠征し、続いてカッパドキアへ派兵した。そして前832年にはウラルトゥに対して別の遠征が行われた。翌年、高齢のためにシャルマネセル3世は軍の指揮権をタルタン(turtānu、最高司令官)のダヤン・アッシュル(英語版)に引き渡さなければならなかった。そして6年後、ニネヴェとその他の都市が息子のアッシュル・ダイン・パル(英語版)の下で反乱を起こした。内戦は2年間続いたが、最後はシャルマネセル3世の別の息子シャムシ・アダド5世によって撃破された。シャルマネセル3世はその後間もなく死亡した。
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