大煙突本体とは? わかりやすく解説

大煙突本体

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 08:50 UTC 版)

日立鉱山の大煙突」の記事における「大煙突本体」の解説

煙突設計の総責任者当時30歳宮長平作であった宮長は大煙突建設先立って石岡第一発電所建設工事指導していた。石岡第一発電所施設全般に渡って鉄筋コンクリート用いられ日本初発電所建設であり、中でも困難な水路工事、そして世界初試みとなった鉄筋コンクリート製のサイフォン建設するといった活躍見せていた。宮長石岡第一発電所続いて世界一の高さの鉄筋コンクリート煙突設計という重責を担うことになった。また大煙突設計図には設計者として宮長のほかに尾崎武洋の名がある設計の総責任者宮長は大煙突建設時大阪久原本部勤務であり、他の業務担当していたために大煙突建設専心することが出来ず尾崎が大煙突建設現場で常時指揮執ることになる。 大煙突設計関係資料としては、設計図監督官庁である農商務省建設許可申請時に提出した設計計画書が残っており、構造計算書は見つかっていない。設計計画書では煙突本体基礎部分、そして煙道について記述されている。煙突本体について煙突の高さや太さ煙突の壁厚といった煙突の形状の他、鉄筋種類配筋の状態、コンクリート調合などが記載され基礎部分についても基礎形状鉄筋種類配筋状態、コンクリート調合について記載されている。また煙道についてもその形状鉄筋種類配筋状態について記載している。 大煙突構造計算書残っていないが、耐震設計当時地震学権威として知られ大森房吉助言があったものと考えられている。日立鉱山の大煙突欧米諸国設計技術援助に頼ることなく宮長平作率いられ日立鉱山工作課によって設計建設進められた。 煙突建設場所製錬所から標高でいうと約200メートル高い場所にある標高328メートル地点建設された。農商務省提出した申請書設計図では500フィート(約152.40メートル)の高さとなっているが、実際に建設された大煙突上記経過により511フィート(約155.75メートル)である。大煙突150フィート(約45.72メートル)までは内筒と外筒の二重構造となっている。大煙突下部二重構造とした理由は、製錬所排煙という高温排出物から煙突壁面を守るためであった。 大煙突外筒の接地部分内径35フィート6インチ(約10.82メートル)、鉄筋コンクリート製の壁面厚さは2フィート(約0.61メートル)、接地部分外径39フィート6インチ(約12.04メートル)である。煙突内径250フィート(約76.20メートル)の高さまでは高くなるにつれて減少し250フィートでは25フィート6インチ(約7.77メートル)となり、それ以上の高さは25フィート6インチ均一とした。壁面厚さ300フィート(約91.44メートル)までは内径同じく高くなるにつれて減少し300フィート8インチ(約0.20メートル)となり、それ以上の高さは8インチ均一とした。従って煙突頂上部内径25フィート6インチ(約7.77メートル)、壁面厚さ8インチ(約0.20メートル)、外径26フィート10インチ(約8.18メートル)となる。なお、大煙突には避雷針無かったのではと言われることがあるが、実際に建設時避雷針設けられていることが確認できる。 内筒は高さ150フィート(約45.72メートル)であり、接地部分内径29フィート2インチ(約8.89メートル)、壁面厚さは内筒は上下とも変わらず6インチ(約0.15メートル)、接地部分外径30フィート2インチ(9.19メートル)である。内筒の頂上部では内径26フィート4インチ(約8.02メートル)、外径27フィート4インチ(約8.33メートル)となる。内筒と外筒とのすき間は、接地部分で2フィート8インチ(約0.81メートル)、内筒の最上部で8インチ(約0.20メートル)としていた。 煙突本体鉄筋アメリカ製のジョンソンバー(異形鉄筋)を用いた外形的には鉄筋コンクリート工事現場で通常用いられている異形鉄筋とほぼ同一のもので、丸鋼に細い針金巻きつけたような形状凸部縦に筋状の凸部があって、コンクリートとの接着力高め工夫なされている。鉄筋成分的には炭素少なくリンイオウ多く含まれ軟鋼であった。この異形鉄筋を大煙突外筒では二重金網張るように組み込み、内筒は一重にやはり金網張るよう組み込んだ組み込んだ鉄筋同士つなぎ目継手)は、重ね継手呼ばれる鉄筋同士重ね合わせる方式であり、重なり合った部分亜鉛メッキされたと考えられる針金幾重にも巻いて結束するというやり方処理されている。鉄筋同士重なり部分定着長)の長さ鉄筋太さ40となっており、これは2017年現在基準と全く同一である。大正時代鉄筋コンクリート建築における継手は、ガスパイプを用いて繋いでいたもの主流であるとされ、それ以前は主にブリキ板を丸めたもので繋いでいたと言われており、大正初期鉄筋コンクリート建築重ね継手採用し、しかも継手長さ基準も現在と同様なものを採用している例は他に見られないコンクリートセメント、砂、砂利などの骨材を、1:1.5:3の割合混合したものを用いた。なお、当時はまだコンクリート調合水量規定設けられていなかった。大煙突は後に1993年平成5年)に大煙突上部3分の2倒壊した後に改修なされており、改修時に倒壊した煙突コンクリート検査した結果セメント混合比が高い富調合コンクリート用いられていることが明らかとなった。大煙突建設当時セメント高価な建材であり、このことからも日立鉱山が大煙突建設思い切った設備投資行ったことが見えてくる。またコンクリート圧縮強度試験行った結果建設後80年経過した後の調査であるのにも関わらず極めて好成績示しており、日本建築学会定めコンクリート強度指標(JASS 5)に基づく高強度コンクリートの値を越え圧縮強度出したサンプルもあった。コンクリート中性化についても、長い期間製錬所排煙排出し続け、約80年風雨晒され続けた悪条件にも関わらず中性化進行少なかったコンクリート使用した砂、砂利などについては、砂は当時新聞によれば磯原海岸から調達した報道されているが、大煙突崩壊後行われたコンクリート検査結果によれば石英長石輝石などからなる川砂であると判断された。また砂利全て砕石であり、閃緑岩砂岩などが確認された。日立鉱山周辺の地質から、大煙突本体で用いられ砂利鉱山から掘り出され砕石活用されたと考えられる。 大煙突本体は監督官庁である農商務省建設許可申請時に提出した設計計画書において、材料は特に精選したものを用い計画としており、アメリカから輸入したジョンソンバーの使用当時高価であったセメント混合比が高い富混合コンクリート使用そして現在基準満足する鉄筋重ね継手定着長、やはり基準凌駕するコンクリート強度などに、大煙突施工優秀さ現れている。しかし大煙突建設当時はまだ鉄筋コンクリート建設黎明期であったため、やはり研究不足であった点も指摘できる。大煙突コンクリート建築問題があったのは打ち継目の処理であったコンクリート打ち継ぐ場合コンクリート表面形成されレイタンス除去した上で更にコンクリートを5センチメートル程度はつり取る必要があるとされる。しかし当時コンクリート打ち継目理についての必要性がまだ十分に認識されておらず、処理が全くなされないままでコンクリート打ちなされた考えられている。この打ち継目部分欠陥が、後の1993年平成5年)に大煙突上部3分の2倒壊した原因であると推定されている。

※この「大煙突本体」の解説は、「日立鉱山の大煙突」の解説の一部です。
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