大煙突の建設認可
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 08:50 UTC 版)
「日立鉱山の大煙突」の記事における「大煙突の建設認可」の解説
1914年(大正3年)4月8日、日立鉱山所長の斉藤浩介は、農商務大臣山本達雄に対して大煙突の建設申請を提出した。申請の中で斉藤は、政府の命令に基づき排煙を希釈して排出する第3煙突を建設したが、その稼働状況から判断すると、日立鉱山の場合は地形的に出来うる限り高所から排煙を放出して自然希釈させる方が煙害防止に役立つと判断したと大煙突建設の根拠を説明した。その上で、製錬所裏山の高地に500尺(約151.5メートル)の大煙突を建設したいと考えているので、特別の計らいをもって認可をお願いしたいとしている。 また、もし大煙突を使用した結果、煙害防止状況が不良に終わった場合でも、既存の八角煙突、神峰煙道、第3煙突そして大煙突の計4本の煙突を使用して排煙を行えば、政府の亜硫酸ガス濃度規制値を十分クリアできるとした。そして大煙突の工事竣工期限は1914年(大正3年)12月31日としていた。 当時の主流学説に反する大煙突の建設申請については、あらかじめ久原房之助から農商務省に対して根回しが行われていたと考えられている。認可に当たっては農商務大臣の山本達雄と次官の橋本圭三郎の理解を得て、大臣と次官の配慮もあって日立鉱山に例外として試験的に大煙突建設が認められたとされている。実際の大煙突の建設認可は4月14日に下りた。
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